中国を大国にならしめた起点 抗日戦争と中国の国際的地位の変遷

中国を大国にならしめた起点 抗日戦争と中国の国際的地位の変遷。 抗日戦争は中国に復興をもたらす歴史的転換点であった。中国は日本軍を撤退させ自国を守っただけでなく、これまで国際連盟メンバー国から受けていた不平等な制約が解き放たれ、平等な地位を得ることになった。中国の国際的地位は、抗日戦争によって未曾有の向上を遂げたのである…

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発信時間: 2010-09-02 10:39:51 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

文=中国社会科学院近代史研究員  王建朗 

1945年6月26日、董必武(のちの共産党政府国家副主席)が国連憲章に署名

1945年6月26日、国際連合憲章(国連憲章)が、米サンフランシスコで開催された連合国会議において採択され、50カ国の代表153名により調印が行われた。中華民国代表団の首席代表をつとめた顧維鈞駐英大使(当時)は、国連憲章に一番に署名した人物とされている。国連の樹立は中国にとって、歴史上、大きな節目となる出来事であった。国連常任理事国の一国として、中国の大国としての地位が体制的に認められた瞬間であった。当時、日本軍による中国全土への侵略戦争が始まった年から、わずか8年しか経っていない。国の存亡の危機に瀕し、苦しみもがいていたアジアの弱国が、8年後には、5カ国で結成される国連常任理事国のメンバーになろうとは、一体誰が想像できただろう?

抗日戦争は中国に復興をもたらす歴史的転換点であった。大きな視点から見れば、あの戦争は中国の全面的な民族解放戦争であったと言える。中国は日本軍を撤退させ、自国を守っただけでなく、これまで国際連盟メンバー国から受けていた不平等な制約が解き放たれ、平等な地位を得ることになったのである。中国の国際的地位は、抗日戦争によって未曾有の向上を遂げたのである。

中国の戦略価値の再認識

アヘン戦争以降、苦難の連続であった中国は、長い間、国際的な表舞台に上がることもなかった。欧米にとって中国は、原材料の産地であり、また自国製品の市場という以外の位置づけはされず、安全保障上の戦略価値としてはまったく重要視されていなかった。

抗日戦争は、安全保障戦略における中国の価値を英米に知らしめることなった。日本軍が中国へ侵略を進めることは、中国の存亡を脅かすだけでなく、国際秩序、つまり、英米法系を主体とする国際体系を脅かすことにもなる。中国は、粘り強い長期間の抗戦により、日本軍の侵略の勢いを抑え、国際秩序の作用を守っていたのである。

英米諸国はようやく、中国は日本軍の世界侵略をはばむ前衛部隊であり、戦略価値が非常に高い極東地区における侵略を防ぐ砦なのだ、と認識するようになった。このため、中国の対日抗戦を支援することが非常に重要であると気づくようになった。このため、英米諸国は、軍事的に不干渉な中立主義政策を次々に放棄するようになった。太平洋戦争が勃発する前から、英米諸国は、中国の対日抗戦を援助することで、日本の侵略拡張をはばむやり方を採るようになった。

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