中国を大国にならしめた起点 抗日戦争と中国の国際的地位の変遷

中国を大国にならしめた起点 抗日戦争と中国の国際的地位の変遷。 抗日戦争は中国に復興をもたらす歴史的転換点であった。中国は日本軍を撤退させ自国を守っただけでなく、これまで国際連盟メンバー国から受けていた不平等な制約が解き放たれ、平等な地位を得ることになった。中国の国際的地位は、抗日戦争によって未曾有の向上を遂げたのである…

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発信時間: 2010-09-02 10:39:51 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国は大国の責任を全う

太平洋戦争の勃発により、抗日戦争と世界大戦は関連性があると示す中国政府の予言は実証された。また抗日戦争と反ファシズム戦線が密接な関連性を持つようになってきた。この後、中国は反ファシズム戦線の一角を担い、また国際的活動に積極的に参与し、大国の責任を担うようになった。

抗日戦争の間、中国は2度、国外に軍隊を派遣している(援蒋ルート回復のためのミャンマー出征)。これは中国の抗戦史上および世界の反ファシズム戦争史において、特筆すべきことであった。また、中国は、隣国の対日抗戦・独立を支持していた。中国側の主張が実り、戦後の朝鮮の独立に関する内容がカイロ宣言に明白に盛り込まれた。また、国際連盟メンバー国に戦後のベトナムの独立を支持するよう説得している。

このほか、中国は悪化する英国とインドの関係の修繕にも努力を注いでいる。植民主義が戦後もアジアに蔓延ることに反対の意見を明白に示している。また連合国の発足に積極的に参与している。1942年中期、中国の関連方面からも、将来の国際機関発足に関するいくつかの計画が提議されはじめていた。連合国樹立の過程において、中国はアジアの代表国であり、また世界の弱小国の代表であると見なし、戦後の国際関係を平等かつ正義ある方向にむかうよう努力を重ねてきた。

国の主権の回復および安定化

国際機関の活動に積極的に参与し、国の主権の利益を守ることは、一国の外交政策の主要な分野である。中国は、その他の大国とは異なり、四大国メンバーに入るまでは、不平等条約を呑まされていた弱国であり、主権国としては不完全であった。抗日戦争中も、中国は国際機関の活動に積極的に参与するのと同時に、国の主権の回復や安定化において大きな進展を見せている:①不平等条約を撤廃し、②国土を取り戻し、③国境地帯の情勢を安定化させている。

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