米国の影響で日本の自立困難
日本の政界には常にひとつの暗流が流れている。それは、米国の敷いたレールを離れ、独立国家としての風格を示そうというものだ。田中角栄の中国との国交回復や、その娘の度を超えた米国批判外交、更には今年6月に首相を辞任した鳩山由紀夫「東アジア共同体構想」は全て、その暗流の一時的な表面化と言える。そして、中国の対日政策では、1955年に初めて中共中央の対日政策活動についての方針と計画を制定して以来、ずっと日本政府がより多くの自己表現ができるよう応援し続けている。
「一衣帯水」の両国の願いは同じなのだが、田中首相の訪中以来40年、成果はほとんどない。中国は結局のところ、日本が必要とする安全保証を提供できるまでには強大化しておらず、東アジアで紛争が起これば、日本はすぐに「日米安全条約」の保護下に戻ってしまう。小泉前首相も、就任当時は米国に対し特別な対応は何もなかった。しかし、東アジア紛争を経て、5年後の離任時には、ブッシュと兄弟のように仲良くなり、わざわざワシントンまでお別れのあいさつに行ったほどである。ブッシュの方でも自ら案内役となり、小泉首相をエルヴィス・プレスリー記念館に連れて行った。鳩山政権の主要任務の一つは、沖縄の米軍基地移設だったが、これも東アジア紛争により、移設を実現する前に、自らが内閣を離れる結果となってしまった。
中日両国は、経済の面では今や密接な関係を持っている。しかし、政治の面では、ある一定の期間において日本は慎重に対中関係と対米関係のバランスを取ろうとしている。実際には、中国と日本は文化的共通点を持っているため、対日外交において中国は米国にない強みを持っていると言える。蒋介石と毛沢東の逸話は、ソフトパワーを以て日本の政界に大国の「義理」を体得させることが、善隣としての「義理」であることを私たちに教えてくれている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年10月20日