日本人料理人が語る、金正恩の少年時代

日本人料理人が語る、金正恩の少年時代。 かつて、朝鮮で将軍家の料理番を務めた日本料理人・藤本健二氏は、平壌の最高権力者の家庭で長年にわたり見聞きしてきたこと、そして、金正恩と接してきた経験から、正恩が幼い頃から優れた観察力や分析力、統率力、行動力を示し、父・金正日の地位と権力を引き継ぐのに相応しい人物だと気付いた、と語った…

タグ: 藤本健二 金正恩 少年

発信時間: 2010-10-22 14:23:14 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

料理番の月給は50万円

藤本健二氏は1982年に朝鮮に渡り、「安山館」というレストランで寿司を握っていたことから、寿司好きな金正日の目にとまった。その後の1987年には、月50万円の高給で金正日の専属料理人に雇われ、朝鮮の最高権力者一家のために日本料理を作った。金正日は、藤本氏が安心して働けるよう、元の妻と別れさせ、朝鮮で若くて美しい歌手の女性を藤本氏の妻として連れてきた。また、専用車としてベンツを当てがい、「朴恩」という新しい名で党中央秘書局の工作証も与えた。

1996年、藤本氏は買い付けで日本を訪れた際、同行の朝鮮人が偽造パスポートを使用していたことで、日本の警察に逮捕される。

その後、金正日は藤本氏を平壌に呼び戻したが、家の電話が盗聴されているのに気付き、藤本氏は朝鮮が自分を日本のスパイになったと疑っていると考えた。そこで2001年、金正日に海外での買い付けを許された際、朝鮮を逃れて日本に帰国した。先頃、藤本氏は日本で『金正日の料理人』という本を出版し、朝鮮の最高権力者とその家族の生活を明かした。

性格の全く異なる金兄弟

藤本氏によれば、彼が金正日の家で料理人を務めた10数年の日々の中では、金正日は常に彼の第二夫人といわれる高英姫(コ・ヨンヒ)とその息子2人、娘1人と共に暮らしていたという。正恩に話題が及ぶと、「私は彼が成長する過程をほぼ見ていましたし、彼とはとても仲が良かったので、かつて、正恩は自分の幼い頃の写真を1枚くれて、絶対に外部に公開しないようにと私に言いました」。

正哲と正恩の兄弟は、外の学校には通わず、専門の家庭教師について勉強をしていた。元山招待所には、子供達のためだけに準備されたゲーム・センターがあり、最新式の日本のゲーム機や漫画本などが置かれていた。正哲はゲーム機で遊ぶのが好きで、正恩は漫画や美術が好きだったという。

兄弟二人の性格や顔立ちは全く異なり、正哲は母親の高英姫に似て、端整で優しい顔立ちで、性格は温厚で大人しく、常々、金正日からは「女々しい奴だ」と言われていた。一方、正恩は父親の金正日に似て、小さな頃から負けず嫌いで、性格は外柔内剛、決断力があって、人を指導するのが好きだったという。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年10月22日

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