習近平氏の延安の「生産隊」での日々

習近平氏の延安の「生産隊」での日々。 1968年12月、毛沢東主席は「知識青年は農村に行き、貧しい農民から再教育を受けることが必要だ」との指示を出した。1千万人以上の青年達が意欲的に呼びかけに応じて、農村に馳せ参じ、その青春を以って革命の理想を実行した。現在、中国共産党中央政治局常務委員、中央書記処書記、国家副主席を務める習近平氏は、そのような知識青年の中の一人だった…

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発信時間: 2010-11-12 13:52:57 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

習近平氏の大学進学の際、梁家河村村民との記念写真(前列中央が習氏)。

習近平氏が梁家河村の生産隊時代に住んだ窰洞(横穴式住居、ヤオトン)。

1968年12月、毛沢東主席は「知識青年は農村に行き、貧しい農民から再教育を受けることが必要だ」との指示を出した。1千万人以上の青年達が意欲的に呼びかけに応じて、農村に馳せ参じ、その青春を以って革命の理想を実行した。

現在、中国共産党中央政治局常務委員、中央書記処書記、国家副主席を務める習近平氏は、そのような知識青年の中の一人だった。

習氏は箱一杯の本を持って農村に行った

1969年1月13日、15名の北京の知識青年達が人民公社の建物に到着し、各大隊の迎えを待っていた。16、7歳の若い男女の一行は、既に背丈は大きかったが、とてもひ弱そうに見えた。

彼らの荷物を運んだ際の小さな逸話を、当時、梁家河村の共産党村支部書記を務めていた石春陽さんは今でも鮮明に覚えている。「当時、ある若者がいて、村の人々からは賢いことで知られていました。その日、都会から来た青年達の荷物を担いでやる時に、若者は真っ先に小さめの木箱を選んだのですが、歩いているうちに皆から遅れてしまいました。休憩の時になり、彼は他の人が担いでいる大きな木箱を持ってみて、初めて自分の箱よりもずっと軽いことに気付いたのです。自分が一杯食わされたことを後悔しつつ、“この北京の知識青年は金塊でも持って来たのだろうか”と呟きました。後で確認してみると、その箱は習近平のもので、その中身は金塊ではなく、箱一杯の本でした」。

1975年、習近平氏は推薦を受けて清華大学に進学した。梁家河村の人々からすれば、後に習氏が獲得した優秀な成績も至極当然のことであった。習氏を覚えている梁家河村の村民達は皆、習氏について語るときに、「読書家」「勉強熱心」という言葉で彼を評価する。彼らの記憶の中の習氏は、よく石油ランプの下で「レンガのように分厚い本」を読んでいた。

「苦難を耐え忍ぶ好青年」と呼ばれる

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