李毅中・工業情報化部長が退任 「2つの気がかり」

李毅中・工業情報化部長が退任 「2つの気がかり」。 李氏は2008年に工業情報化部の初代部長、党組書記に就任した。工業情報化部は「大部制改革」(省庁統廃合)のテストケースとして、旧情報産業部、国防科学工業委員会、発展改革委員会の工業部門、国務院情報化弁公室、たばこ専売局などの統合により設置された…

タグ: 李毅中 工業情報化部長 退任 改革

発信時間: 2010-12-28 14:06:16 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

李氏はもう1つの気がかりとして、工業モデルの転換と高度化を挙げた。李氏は「中国の工業は依然として『大きいが強くない』状況にあり、金融危機の影響もまだ残る」と指摘。工業発展への一層の関心を中央政府に求め「第二次産業の発展なしに農業を支えることはできないし、都市が農村を支えることもできない」と述べた。

中共の閣僚級高官の中で、李氏は非常に個性的な人物だ。李氏は03年に中国石油化学工業集団の社長から政界に転身し、国有資産監督管理委員会の副書記に任命された。05年に死者100人以上の「特大事故」が4件、死者30人以上の「重大事故」が14件起きたことへの対応策として、安全生産監督管理局が安全生産監督管理総局に格上げされた。李氏はこの危機の中、初代局長に任命された。この年、人々が最も多く耳にしたのは、李氏が「机を叩き立ち上がった」エピソードだ。

「仕事への責任感のある者なら誰しも、事故の頻発や規則違反を前にしたら、さらには官民癒着の腐敗行為や人命を軽んじる行為を前にしたら、机を叩き立ち上がるだろう」??。会議後に李氏が記者に語った言葉だ。

08年の工業情報化部設立後、重大な試練が立て続けに発生した。チベット「3.14」事件、四川大地震、オリンピック、金融危機、新疆「7.5」事件において、工業・情報部門は多大な努力を払った。李氏は四川大地震の際、省通信監理局の職員が不眠不休で働き、3日目に移動通信の復旧を果たしたことを今も覚えている。

李氏は後任の苗氏について「企業と地方の双方で仕事の経験があり、若くて活力があり、仕事への意欲と責任感が強い。工業とマネジメントの双方に精通しており、部長としてふさわしい人選だ」と述べた。

「人民網日本語版」2010年12月28日

     1   2  


日本人フルタイムスタッフ募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。