最近、様々な複雑な要因の総合作用によって、中東の一部の国で相次いで「政変」が起きている。まずチュニジアの政権が民衆の騒乱によって倒された。次に18日間のエジプト動乱によって30年近く続いたムバラク大統領の強力な統治に終止符が打たれた。目下、こうした激変の「波及効果」は他のアラブ諸国にも拡散し、人々の注目を集めている。世界は混乱拡大のスピードに驚くとともに、米国が自国の戦略的利益の観点から手を替え品を替え、くるくると顔つきを変幻させる頻度の、川劇の「変臉」に勝るとも劣らない高さに、同様に愕然としている。(『人民日報海外版』コラム「望海楼」)
エジプトはアラブ諸国のリーダーであり、中東の構造のバランスをとる「スタビライザー」でもある。ムバラクはかつて米国の「友人」であり、米国の大敵であるイスラム過激派に対して少しも妥協せず、厳しく叩いてきた。ムバラクは米国の中東安定策の礎石であるアラブ・イスラエル和平を堅く信じて疑わず、積極的に調停役を果たした。カイロで「街頭政治」の嵐が吹き始めた当初、米国はムバラクの肩を持ち、バイデン副大統領はムバラクを「信頼できる盟友」と公言していた。その後米国は事態の変化を受け、9月の大統領選挙までの「安定した移行」を呼びかけた。デモが激化し、ムバラクには事態を制御できないと見るや、オバマ大統領は自ら演説台に立ってその即時辞任を求めた。情勢を見て風向きの良い方につき、ムバラクが井戸に落ちると石を投げ、瀬戸際になって切り捨てるという無情なやり方に、中東の他の同盟国はぞっとすると共に、米国の中東外交の本性がプラグマティズムであることをさらにはっきりと認識した。
米国にとって中東問題で主導権を握ることは、世界における覇権を維持するための要の一部だ。中東はヨーロッパ、アジア、アフリカの3大陸が交わる、戦略的に非常に重要な地域であるうえ、石油や天然ガスの世界的大産出地でもある。09年のデータでは中東の石油埋蔵量は1032億トンで世界全体の55.6%を占める。第2次大戦後の歴代米政権がいずれも「中東とその石油を支配する者が世界を手に入れる」との考えを信奉し、大量のリソースを投入して中東経営に心を砕いてきたのは正にこのためであり、敵意に満ち、戦乱の止まぬ中東地域での「両賭け」がその常套策だ。例えば他の中東諸国を抑止するために、労を惜しまずに全力でイスラエルを支持し、育て上げる。その一方で、これも同盟関係によって他のイスラム諸国の権力者を丸め込み、中東戦略推進の協力者、代弁者に仕立て上げるという具合だ。米国人にとっては、32年前のイランのパーレビ国王も、10数日前のエジプトのムバラク大統領もこのような役割を果たしたのである。1979年のイラン・イスラム革命でパーレビが失脚すると、米国は彼を弊履の如く顧みず、家族と共に米国に定住したいとの申し出さえもはね除けた。ムバラクに向けられた米国の「変臉」に、人々はまるでバーレビを見る思いをした。