口論の末の「実物教学法」
学員の文化レベルの低さをどうするか。この問題をめぐって、航校内には対立が生まれた。日本人教員等の正規訓練を受けた者たちは、まずは基礎的学力をつけ理論を学ぶという順序だった方法を主張。一方、八路軍出身の指導者や学員達は理論的な事は後回しにして、直接飛行機の操作や修理の技能について学び、その後でゆっくり理論的内容を補充していく方法を主張した。
この対立は、教員レベルにとどまらず、一部落ち着きのない学員も加わって航校の指導者に対し直接、勉強をやめて、前線で戦いたい等と言いだしたため、状況はさらに緊迫したものとなっていった。航校の常乾坤校長と王弼政治委員も、1日3回は口論、3日に1回は大口論となり、顔や耳まで真っ赤にしながら机をたたき、椅子を投げつけるほどとなった。その口論は激しさを増し、ついには周りに配慮した二人がロシア語で言い争うようになり、当時の航校の一大「おなじみ演目」となった。
しかし、不思議なことに、全校至る所で、みんなが繰り返し口論をしていくと、だんだんその問題点が明確になり、互いの考え方もどんどん近づいて行った。その結果、最終的には実践実学を重視した方法を採用することで双方一致した。そこで、航校の指導者は次の指示を出した。「直ちに実践実学主義の授業を試行、状況を見ながら進め、総括しながら改善を行っていくこと。」
我々日本人は、本件を通して、身をもって中国共産党の民主集中制を体験した。
日増しに効果を上げた教学法