日本の漢陽楼に入る 周恩来で有名に

日本の漢陽楼に入る 周恩来で有名に。 中国共産党創設90周年を迎えるにあたり、過ぎし日を回想してみると、中国共産党の多くの創始者と中国革命の先駆者はいずれも海外で留学、あるいは生活している。日本では、周恩来総理ゆかりの場所は非常に関心を集めている。漢陽楼は百年の歴史をもつ中華料理店。東京千代田区の東北、神田神保町にある…

タグ: 共産党 90周年 革命 先駆者 留学 周恩来 孫文 

発信時間: 2011-06-21 14:27:04 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国共産党創設90周年を迎えるにあたり、過ぎし日を回想してみると、中国共産党の多くの創始者と中国革命の先駆者はいずれも海外で留学、あるいは生活している。日本では、周恩来総理ゆかりの場所は非常に関心を集めている。漢陽楼は百年の歴史をもつ中華料理店。東京千代田区の東北、神田神保町にある。

資料写真:京都で撮影された周恩来と友人たちの記念写真

当時、周恩来は日本に留学していたとき(1918-1920年)、いつもここで中国料理を食べながら時局について論じていた。漢陽楼はいまもやはり中国料理店として営業、中日友好関係者が活動を行うために好む場所でもある。

獅子頭は総理の大好物

漢陽楼は神保町古書店街の近くにある。周恩来総理と解けない縁から、中日友好関係者が活動を行うために常に通っている場所だ。「中国の芽を見る会」は漢陽楼を会場に選び、著名な作家で、日中文化交流協会々長の辻井喬氏のために中国をテーマにして講演会を開催。「環球時報」記者も招待を受けて参加した。

「駿馬の図を頼りに良馬を探し求めて」、記者は漢陽楼を探しあてた。ふと見ると、入り口上方の木製の看板に「民国元年春漢陽楼」と書かれている。漢陽楼は華人の顧雲海が1911年に開業。店名は非常に意味深く、当時の留学生の希望が託されている。「漢」は漢民族のこと、「陽」は太陽の輝きを表していて、合わせると、太陽が漢民族を照り輝かせているとの意味になる。和田総理長は記者に「何度も変遷を重ねた末、店主は日本人に代わりましたが、店名はずっと変わっていません」と語った。

店内に入ると、壁に多くの書がかけられていて、周恩来総理の詩作「大江歌罷掉頭東」や「雨中嵐山」などもあった。会計処には周恩来総理の日記の日本語版や、その他の関連書籍が置かれている。店主がさらにこの店と周恩来総理に関する歴史的な報道や資料、写真などを収集して壁に貼っている。周恩来がこの店を非常に好み、歴史の記録に名を残す名店であることを物語るものではないだろうか。

和田料理長によると、当時、この一帯には非常に多くの中国人留学生がいた。故郷の料理をどうしても食べたいと思っても、行くところはない。当時は中国料理店が非常に少なかったからだ。そこで、時運に乗って出現したのが漢陽楼。上海料理を提供し、しかも学生たちの経済状況を考慮して、料理はどれも大変安かった。

周恩来総理が好んだ料理をたずねると、和田氏は笑いながら、「獅子頭(ひき肉に片栗粉と小麦粉を混ぜ、団子状にして油で揚げたもの)と豆腐です」。当時の留学生は決して裕福ではなかったので、いつも豆腐を食べていたという。周恩来総理は19歳、近くにある明治大学で学んでいたことから、この料理店の常連となった。

孫文も常にご光来

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