福島放射能汚染の深刻さは日本内外で幅広く懸念されている。日本政府はこうした懸念を打ち消すまたは軽減するため即、「範を垂れた」のだ。公務員は「白ねずみ」となり、自らの生命と健康状況をもって証明した。放射能漏れの危険は決して多くの人が想像するほどのものではない、と。
別の場所の放射能汚染のない野菜は食しても問題ないが、福島の野菜が人身に及ぼす影響には不確定要素があり、少なくとも人びとの気持ちは暗澹としている。日本政府や高官に「放射能汚染野菜」を食べるよう要求する人は誰もいない。食するのは彼らの職責または義務でもない。国民がこのように要求することはないのだ。彼らが自発的に、自ら求めたことであり、従って、一種の責任を負う精神だと認めざるを得ない、と言っていいだろう。
だが、責任を負っているのだと認め、野菜を食するこの行為は良性の「政治的振舞い」だと認めるにしても、その前提にあるのは科学的研究、科学的判断であるはずだ。
この種の野菜を食べる前に行う基礎的研究が、「食べられる」ことが判明すればそれでいい、というのは間違いないだろう。科学的研究による「福島野菜は食べてもいい」との結論を前提に、各省庁が率先して福島野菜を食すれば、事をうまく運ぶことができる。だからこそ政府は、政治を大事にし、科学や人道も重んじなければならない。今回、各省庁が福島野菜を食したが、科学的研究に誤りがあったとするなら、結果は異なっていただろう。このように、政府職員が「放射能汚染野菜」を食するのを見てくると、「秀でている」どうかは別にしても、われわれが思うほどにはるかに簡単でないことが理解できる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月21日