福建省南平建甌市の繁華街で見つかった日本の航空爆弾が5月31日、安全な場所に移された。この爆発物は同月19日、地元の作業員が工事中に発見したもの。
専門家によると、同市でこのような航空爆弾が見つかったことはないという。旧日本軍の犯罪行為の有力な物的証拠がまた一つ増えた。
5月19日午後5時頃、福建省南平建甌市芝山街道勝利路にある旧裁判所内で基礎を掘り返していた作業員が爆弾に似た、円柱形の青い鉄製物体を発見。その後、市公安局治安大隊が駆けつけ直ちに現場を封鎖。専門家の調べで、同爆弾は直径20センチ、長さ1メートル、爆薬容量約100キロ、抗日戦争時に旧日本軍が飛行機から投下した航空爆弾であることがわかった。十数年間埋まっていたものの、信管に破損はなく、うまく処置しなければ爆発する危険性があった。
その後、市の関連部門が爆破専門会社に連絡を取り、駆けつけた技術者によって爆弾は無事処理された。そして昨日、この爆弾はようやく安全な場所に移された。
◆かつては米義勇部隊「フライング・タイガーズ」の中継基地
今回の航空爆弾の発見は地元の高齢者らに日本軍の爆撃の記憶を蘇らせた。
「私の親戚や友人はみんな日本の爆撃によって爆死した」と90歳以上になる林信忠さんは振り返る。林さんは、日本の航空機が初めて同市を爆撃した日を覚えている。1937年8月30日、10人以上が爆死した。
「それは始まりにすぎなかった。それからの数年間、日本の飛行機は100回以上爆撃を行った」と地方誌委員会の劉研究員は話す。抗日戦争時代、同市の爆撃の回数は東南部の各省の中で一番多く、福建省で最も被害がひどかった。旧日本軍が爆撃を繰り返したのは、かつて同市に空軍基地があったからだ。また、米義勇部隊「フライング・タイガーズ」の中継基地でもあった。
同市では今までこのような航空爆弾が見つかったことはなく、今回の発見は、旧日本軍が同市を爆撃した有力な物的証拠となると劉研究員は話す。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年6月1日