文=フェニックステレビ評論家 兪天任
資料写真:軍国主義の下の日本国民教育
資料写真:軍国主義時代の日本
日本は過去において国策を誤り、過ちを犯したことは紛れもない事実であり、左翼・右翼を問わず、日本国民すべてが認めている事である。
日本は自分の過ちを反省し、二度と過ちを繰り返さないと誓い、そのための手段を採ってきた。だが、この「反省」はいずれも、占領軍最高司令官・マッカーサーの支配下にあった日本が、マッカーサーの思惑通りに行なわれたものであって、日本人自らが反省の意を示した訳ではない。一般的な日本国民の中では、「何度かの軍事クーデターが発生し、軍が統帥権を犯して暴走したため、日本は軍国主義の道を歩み始めるようになったのだ」という認識が大半のようである。
だが、こうした考えは以下の質問の答えにはならない:何故軍事クーデターが起こり得たのか?何故日本軍が政権を掌握することができたのか?その大義名分があったのか?国民からの支持はあったのか?
◆政治家に対する国民の不満
当時、日本軍が内閣や国会の干渉を許さず軍部独裁体制を築いていったことは、実際、国民の広い支持を得ていたのである。例えば、五・一五事件(1932年、海軍将校らによる犬養首相殺害事件)や二・二六事件(1936年、陸軍皇道派によるクーデター)の裁判において、これらの首謀者に対する助命嘆願書が数多く届けられたという。こうした嘆願運動を単純に軍国主義の思想と絡めて考えることは出来ない。ただ、当時の政党政治の腐敗に対する国民の反感をよく表しているエピソードだと言えよう。
そのため「二・二六事件の首謀者らに賛同はしないが、彼らがクーデターを起こした気持ちは理解できる」と言う日本人は今でも多い。こうした考えは、当時の政治家が如何に腐敗に満ち、国民の反感を買っていたかが理解できるという意味であり、それは今の政治家に対しても同様であることを表すものである。
日本の今の政界はどうであろうか?行政が正しく行なわれておらず、そして今でも日本に軍部があったと仮定し軍事クーデターが起こったとする。果たして国民のどれだけが反対の意見を表明するだろうか?国民の選挙で選ばれた政治家に対し不満を募らせる国民はきっと、軍事クーデターを「理解できる」行動だと評価するに違いないからだ。
ドイツの政治・経済学者であり社会学者でもあるマックス・ウェーバーは、政治家に求められる資質についてこのように語っている:よりよい未来のために現状を変えようとする情熱を持つこと。事柄と人間から「距離」をおき、現状を理解できる洞察力を持つこと。悪に対しては物理的暴力という特殊な手段があることを理解し、その行使ができること。
だが、今の日本の政治家はこうした素質をまったく備えていない。日本語には政治家の蔑称として「政治屋」という単語がある。私利私欲を得るためだけに選挙に出馬した政治家のことを形容した言葉で、こうした政治家は、日本の将来や現在をどう治めるべきかなど全く考えてもいないのだ。
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