長崎港で、記者は北洋艦隊の主力艦「定遠」と「鎮遠」が1886年に訪日した際に停泊した場所を見学した。史料によると、当時、清の水兵数人が妓楼で日本の警察と衝突、長崎市民は清の水兵に対して「艦船を笠に着て人を侮る」と激怒したという。翌日、清の水兵数百人が休暇で陸に上がると日本の警察、住民の襲撃に遭った。日本はこれを逆に「清国水兵長崎暴動事件」と呼んでいる。その後、1894年に甲午海戦(日本名・日清戦争)が勃発。日本海軍は北洋艦隊の残骸を踏んで勢いを増していった。荒井広幸氏は、中国と日本は歴史的にどちらにも勢いのある時期があったと説明。今日本人は中国の発展を前に、悔しがる人と羨む人がいる。しかし両国がするべきことは争うことではない。互いに長所を学び、短所を補うことだと荒井氏は話す。
帰国後、記者は日本問題に詳しい中国人専門家と中日両国の今後の国運について語り合った。彼の言葉は多少驚くものだった。「中国は今後ゆっくり上昇していくが、日本の運命は当時の清末期に似ている。すでに苦境から抜け出すのは困難だ」。
記者は読売新聞の広告を思い出した。「いい記者は“虫の目”で細かく観察し、“鳥の目”で全体を把握する」。中日関係の問題に関して、日本のメディアがこれを果たせているか疑問が残るが、中日関係を知るのに“鳥の目”が必要なのは確かだ。
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「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年9月19日