若いごろの蒋介石
1906年、蒋介石は保定陸軍速成学堂に合格した。翌年、同級生の張希騫と陸軍官費生に合格して日本に派遣され、日本の陸軍予備学校、東京振武学堂に入学した。1910年に卒業後、2人は長岡の日本軍13連隊で実習、4年間兄弟のように過ごした。休みになると2人は軍営近くの田園で気晴らししていた。その時に出会ったのが若く美しい、心優しい日本人女性、恵子だった。
何事にも慎重な蒋介石に対し、情熱的な張希騫は積極的に行動し、恵子と親しく付き合うようになった。見るにみかねた蒋介石はある晩、こう打ち明けた。「希騫、ちょっと話がある。僕は恵子を愛している。今後、彼女につきまとわないでくれないか?」。張は驚き、「何を言ってるんだ?僕だって恵子を愛してる!冗談を言うんじゃないよ。君には妻や息子がいるじゃないか!」。自分がってな蒋が、「何が妻や息子だ。僕は彼女だけを愛している。君は譲る気がないのか?」と言うと、たまりかねた張は立ち上がって「譲らない!譲るわけがない!僕は恵子を愛しているんだ!」と叫んだ。蒋は、「君は恵子が本当に君の事を愛しているとでも思っているのか?」と冷ややかに一笑した。張は怒って「彼女が君を愛しているとでも?」。言い争いは収まらず、恵子が誰を愛しているのか証明するため、中国人の同級生に直接恵子に聞いてもらうことにした。
それを聞いた恵子は困りながら、「私にもよくわからないわ。2人とも私の事を好きみたいだし・・・・・・」。以前読んだ小説を思い出しでもしたのだろう。彼女は突然、「じゃあ、2人にシュアイジャオで決闘してもらいましょう!勝った人を私は好きになる」と目を輝かせながら語った。
そうして一生をかけた「決闘」が休みの日に郊外で行われた。その日、恵子は華やかな和服姿で観戦に訪れた。あの同級生が審判を務めた。「はっきょい」の掛け声で蒋と張は飢えた虎のごとく取っ組み合い、結局、蒋が倒された。張が起こそうとすると、蒋の口もとからは血が流れていた。この時蒋は、「勝敗は戦術家にとって日常茶飯事。君の勝ちだ!」ときっぱりと負けを認めた。
張は決闘に勝ち、願い叶って恵子と結ばれた。
(作者:呉才仁 『老年生活報』より)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年12月19日