1894年5月12日 沖縄県知事から内務省県治局長に宛てた調査報告 |
もう1つの「詭弁」として、日本はよく「釣魚島が日本領土であるという動かぬ証拠があり、中国も認めている」としている。
上述した「産経新聞」の記事は、1920年、釣魚島に漂着した中国人漁師を助けたことへの感謝状が、中華民国駐長崎領事・馮冕より石垣島に送られており、その中に「八重山郡尖閣列島」と明記されているとし、これを「釣魚島の帰属」を示す根拠としている。しかし、この「感謝状」は根拠として不十分だ。なぜなら日本は1895年、不平等な「下関条約」によって中国の台湾省を占領したためだ(釣魚島は台湾の附属島嶼)。この状態は1945年の日本降伏まで続いた。ゆえに、日本が台湾を殖民統治していた時代の「感謝状」に記載された内容など、日本の敗戦と共に意義を失っている。せいぜい、当時の一部の人が、釣魚島が沖縄県に編入されたことを認知したという事実を示すのが精一杯で、これを根拠に中国が釣魚島を日本固有の領土と認めたと証明するなど不可能だ。もし日本の一部の人が今、これを「証拠」だと言うのなら、彼らの精神は依然として台湾統治時代のままだと言うしかない。
今の沖縄県が実は日本固有の領土ではない点も指摘する必要がある。琉球王国は1879年に日本に併合される前、約500年の歴史を持っていた。琉球王国は36島を有したが、その中に釣魚島列島は含まれていない。琉球の学者・程順は1708年、「指南広義」という本の中で姑米山(久米島)を「琉球西南方界上鎮山」と記し、釣魚島・黄尾嶼・赤尾嶼は琉球境内に組み入れていない。現在、日本政府は「釣魚島は日本固有の領土」と言い張っているが、物事は土台なしでは成りたたない。沖縄すら日本固有の領土ではないのに、その沖縄(琉球)にも属していなかった釣魚島を無理やり日本固有の領土と言い張るなど笑止千万ではないか。
琉球王国が中国によって興り、日本によって滅亡させられた歴史を持つことは否定できない事実だ。明の洪武5年(1372年)、明帝・朱元璋は楊載を琉球国に派遣し、琉球国王・察度を冊封した。同年、察度は弟の泰期を使者とし、楊載とともに北京に赴かせ、貢ぎ物を明朝に献上した。中国と琉球はこれより、冊封国と朝貢国の関係を結んだが、その前提は双方が互いの海上境界線を認めるというものだった。双方に残る大量の古代文献から、当時の双方の海上境界線が、中国釣魚島列島の最東端・赤尾嶼と、琉球の最西端・久米島間の間にある琉球海溝であったことが証明されている。この一帯は水深が深く、流れが急なため「黒水溝」と呼ばれた。1756年にも、清代の冊封使・周煌がここを「中外の境」と呼んでいる。中国の公式歴史文献によると、釣魚島列島は遅くとも明代の1372年には、中国と琉球の交流における海上標識であり、中国の水師(海軍)が倭寇を制圧するための前線ともなっていた。
釣魚島問題の発端は、日本が1879年に琉球を滅亡させた後、中国に向けて武力拡張を始めたことがきっかけと言える。
明治政府は日清戦争の前、釣魚島に対する秘密調査を行ったが、「該島に関する旧記書類およびわが国に属せし証左の明文又は口碑の伝説等もこれ無し」との最終結論を得ている(上の写真を参照:沖縄県知事・奈良原繁から内務省県治局長・江木千之に宛てた調査報告。1894年5月12日)。さらに「日本外交文書」第18巻の記載によると、日本政府は1885年の調査の結果、「これらの無人島が中国に命名され、清朝の冊封使にもよく知られている」ことを認識しており、「軽率な行動はできない」としている。
歴史的なターニングポイントとなったのは1894年の日清戦争だ。明治政府は日清戦争の勝利が決定的となった1895年1月14日、「当時と今とでは事情が異なる」として10年間狙ってきた釣魚島を沖縄県に編入することを閣議決定した。事前交渉もなく、戦争の終結も待たず、秘密裏に中国の領土を占領するという行為は、下関条約を利用して中国の領土を占領するよりも卑怯なやり方だ。しかし、日本は「下関条約」で台湾およびその附属島嶼を占領したものの、同年の「沖縄県の郡編成に関する勅令」では釣魚島(もしくは尖閣諸島)について言及されておらず、明治政府が釣魚島に日本の標杭を建てたわけでもなかった。
日本は釣魚島に対する領有権の「根拠」として、釣魚島が無人島であり、清国の支配が及んでいる痕跡がないと確認したとしている。その後、侵略戦争中の1938年になって、外務省文書で国際法の「無主地の先占」によって釣魚島を領有したと明らかにした。つまり、日本外務省が1972年3月に発表した釣魚島領有に関する基本的見解は、1895年1月14日の秘密裏に行われた閣議決定を根拠としたもので、これは全く根拠にならない。日本は中国の「無人島」を「無主地」と勝手に言い換え、釣魚島を不法に占領した。中国政府と国民がこれに納得するはずが無い。