挙国体制はなお整備が必要
■国民全体のフィットネスと共に国家スポーツ発展戦略を支える
■人間本位で選手の長期的発展に着眼
挙国体制の効率はすでに証明されている。時代の発展につれ、スポーツの社会的効果が拡大し、挙国体制に対する見方も多様化してきた。2008年の北京五輪以来、スポーツ界と社会各界ではこの問題について多くの議論があった。挙国体制の人材、資金投入について、より多くを国民全体のフィットネスに向けるべきではないかとの見解がある。
確かに大会で好成績を争うことがスポーツ事業の全てではない。だが国民全体のフィットネスに幅広く取り組む国は比較的良い土台は築けても、自ずと競技場の勝者になるわけではない。たとえ国民の体質が一様に向上し、スポーツ意識やスポーツ行為が大衆の生活理念、生活スタイルとなったとしても、優秀な競技人材はやはり、特殊な専門訓練を受けなければ競争力は得られないのだ。経済・社会発展がすでに一定の程度に達した今日、挙国体制と国民全体のフィットネスはあくまで対立するものとして比較するのではなく、国のスポーツ発展戦略の中で相互補完的に支えとなるものであるべきだ。現在運行過程で生じているいくつかの問題についても、発展の角度から見るべきだ。
今回のオリンピックでの中国選手のパフォーマンスはやはり人心を奮い立たせるものだ。表彰台のトップに立てたか否かに関わらず、みな中国スポーツ、さらには現代中国のイメージと気迫を示してくれた。これも挙国体制を主たる推進力とする成果である。競技スポーツの挙国体制の役割が他の方法によって代替可能かどうかについては、経済・社会発展、特に資質教育の状況によって決まる。条件が整えば自ずと成就するのであり、急ぎすぎても、遅れすぎてもならない。中国がスポーツ大国からスポーツ強国へと向かうには、依然として挙国体制が土台となる仕組みであり、たゆまず整備し、十分に役割を発揮する余地がまだまだあるのだ。
そして挙国体制整備の核となる考え方は「人間本位」であるべきだ。選手の長期的利益と全面的発展に着眼するのだ。何と言ってもオリンピックの競技場に足を踏み入れ、表彰台に立つことのできる選手は極少数なのだ。選手の育成過程ではもっと人間的な配慮をし、合理的な制度設計によって、彼らが全身全霊で練習と競技に打ち込めるよう支援するとともに、より長期的な将来のために土台を築けるようにする。ロンドンから次々に勝報が届く中、挙国体制が新たな時代において新たな生命力を放つには、自信の堅持とともに改革の決意も必要なのである。
「人民網日本語版」2012年8月10日