だが誤謬は誤謬であり、しょせん真理にはなり得ない。安倍の靖国神社参拝は事実上、米国民の感情も傷つけた。米国の有識者は「靖国神社の存在は工業の発達した日本が立ち後れたアジアを解放したのであり、アジアの人々は感謝すべきだというものだ。これは戦後国際秩序と日本の国内法の基礎を否定するものだ」と明確に指摘した。英国のヒュー・コータッツィ元駐日大使は寄稿で、平和憲法改正を企てる日本に対して「火遊びをする者は、自らの身を焼く可能性が高い」と警告した。英国のティモシー・ヒッチンズ現駐日大使も先日、自らの犯した歴史的過ちを認めるよう日本に促した。
日本は頑として過ちを認めず、悔い改めず、自らを省みない。これは道義上許されないことであり、国際社会の寛恕できないことであり、ましてや国際社会の信頼や尊敬など到底望めない。「右翼勢力が猖獗する日本は、罪過を悔いていない犯罪者が完全武装で住宅街に戻ってくるようなもので、隣近所は最悪の事態を想定して、狼を殴る棒を用意するほかない」と人々が言うのも無理はない。
歴史問題という障害は、歴史を素直に認めて初めて乗り越えることが可能になる。第2次大戦後、ドイツはブラント首相の「驚くべき跪き」によって、歴史的罪業が民族に課した精神的束縛からかなり解放された。今年1月のレニングラード防衛戦70周年記念でも、ドイツのガウク大統領はロシアのプーチン大統領に宛てた書簡で「ナチスドイツがソ連に対して発動した殲滅戦を思うと、深く悲しみを覚え、恥じ入るばかりだ」と表明した。これこそが正常な国家の歴史に対する正常な姿勢だ。ドイツはまさにその真摯な謝罪と反省によって初めて、現在の欧州で指導力を持つ国へと発展することができたのだ。
侵略をどう受け止め、日本軍国主義がアジアの人々に与えた苦しみや傷をどう受け止め、第2次大戦後の国際秩序の取り決めをどう受け止め、他国の領土主権をどう尊重するのか?これは日本が深く反省し、正しい答えを示さねばならない問題だ。これは中日関係の現在の困難を解決するカギでもある。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年2月11日