中国は第二次世界大戦中に、連合国の4大国の一つとして公認された。1945年1月6日、時のルーズベルト大統領は一般教書演説の中で、「米国は中国人が7年以上の長期に渡り、日本人の野蛮な侵攻に耐え切り、アジア大陸の広い範囲で多くの敵軍をけん制したことを忘れない」と述べた。米国の華字紙『僑報』が伝えた。
しかし多くの西側諸国は戦後、意識的な問題と冷戦などの原因により、中国の第二次世界大戦への貢献を否定している。西側諸国の学者が記した第二次世界大戦の歴史書を見ると、中国の抗日戦争に関する詳細な内容が少なく、故意に言及を避けるケースもあるほどだ。これにより西側諸国の、中国の抗戦に関する知識が不足している。人々は中国の抗戦の、世界への貢献を理解できなくなっている。
1931年の満州事変から1941年の米国の参戦まで、中国の軍民はほぼ自力で日本軍の侵略に対抗し、日本を中国大陸の抗戦の渦に陥らせた。中国の日本に対するけん制は、ソ連の極東地域における平和を保証した。ソ連はその後、ドイツの脅威に全力で対応できるようになった。日本軍は1938年にソ連に侵攻し激戦を展開し、砲弾を撃ち尽くすと、東京に緊急調達を求めた。しかし当時の日本陸軍は、ほとんどの弾薬の生産枠を、漢口攻略の部隊に割り振っていた。
英仏は1937-1939年に、独日に宥和的な政策を推進した。中国の抗戦は、「極東ミュンヘンの陰謀」を阻止し、中国が次のチェコスロバキアになることを回避した。中国はこれによリ、その後の連合国の重要な抗日拠点になった。また日本は大量の兵力を中国の戦場に投入したことで、太平洋戦争の発動時に東南アジア方面の兵力が著しく不足した。中国軍は陸路から日本軍の交通網と補給線を脅かし、日本の南進戦略の全面的な展開を防いだ。
真珠湾事件後に米国が参戦し、世界の反ファシズム同盟が正式に結成された。その時から日本の降伏に至るまで、中国の抗戦は連合国が日本を打ち負かす原動力となった。当時の世界は、連合国と枢軸国の2大陣営に分かれていた。戦線も欧州、北アフリカ、東アジア、太平洋まで広がった。連合国の緊密な連携により、枢軸国の連絡が途絶え、共同作戦を実施できなくなった。これもまた、連合国が最終的に勝利を収めた重要な原因だ。