日本の空母「信濃」、処女航海で沈没
ユナイテッド・ステーツは建造前にストップがかかったが、日本の「信濃」は処女航海で海底に葬られ、悪運では負けていない。
大和型戦艦をベースに改造された大型空母「信濃」が1944年11月28日、横須賀軍港から呉港に向け出発し、処女航海を開始した。
この正式に就役した巨艦の基準排水量は6万6000トンで、第二次大戦中の「重量級」空母だ。ところが太平洋戦争の戦火はすでに日本の本土に届いていた。一刻も早く前線に配備するため、信濃は竣工を待たずして出発した。最も致命的だったのは、艦内の大半の防水ハッチが未設置で、各種ケーブルの穴も残されていたことだ。排水ポンプも不足していた。
出港した日の夜、米潜水艦「アーチャーフィッシュ」が信濃を発見した。信濃の速度は20ノットで、潜水艦の水中における最高速度である8ノットを上回るはずだ。しかし信濃は潜水艦が遠くから発射する魚雷を避けるため、「Z」を描くように航行した。これによりアーチャーフィッシュに時間を与えてしまった。
アーチャーフィッシュはすぐにチャンスをつかみ、信濃に魚雷6発を発射した。うち4発が右舷に命中。海水が開かれた防水ハッチとケーブルの穴から入り、慌てふためく水兵は排水パンプもなく、空母を救うことができなかった。こうしてこの巨艦は処女航海開始からわずか17時間後、海底に葬られた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年4月27日