ロシアのプーチン大統領は24日、第二次大戦の終結日を1945年の9月2日から9月3日に変更する法案に署名した。この変更には重要な政治・外交の意義が込められている。
(一)歴史の真相を復元し、ロシアの国の結束力を強める。ロシア・ドゥーマの国防委員会のシャマノフ委員長は、これは「歴史の基礎と愛国主義の伝統を固める」措置であると強調した。ロシア社会は歴史と伝統、特にロシアに大きな影響を及ぼした歴史的事件を重視してきた。1日の変化に過ぎないが、ロシア人の歴史の事実に対する「本気」を示した。ソ連邦最高会議幹部会の法令に基づき、ソ連は1945年に9月3日を対日戦争勝利日にすることを宣言した。当時約180万人のソ連軍の兵士が手にした対日戦争勝利褒章には、1945年9月3日と記されている。2020年は第二次大戦終戦75周年だ。このタイミングで終結日を変更することで、ロシア人の歴史の記憶を呼び覚まし、社会の結束力と愛国主義の伝統を強化できる。
(二)南クリル諸島への合法性を強化する。ロシアにとって、日本の降伏文書署名は法理的に南クリル諸島(日本名・北方四島)の合法性を認めており、露日の間にはいわゆる領土紛争は存在しない。第二次大戦終結日の変更の法案を提出したのは極東の議員で、この措置によりロシアの極東の領土に対する合法性を一定程度強化した。ロシアは近年、法律レベルで領土保全を強化している。今年承認されたばかりの憲法改正案は、再び「本国領土の割譲を禁じる」と強調した。これは第二次大戦の終結日の変更と図らずも合致している。
(三)第二次大戦終結日の変更は、主に歴史の事実及びロシア国内の政治の需要に基づくものだが、同法案は中露民間外交の共通の話題を作った。冷戦終結後、旧ソ連陣営だった中東欧諸国が次々と西側に転じ、ロシアと共に第二次大戦勝利日を記念しなくなった。これらの国は旧ソ連との関係を全面的に断ち切ろうとし、旧ソ連赤軍第二次大戦記念碑を直接撤去するか移動し、旧ソ連と関連する名称を変更するなどした。ポーランドはさらに、ロシアは第二次大戦の戦勝国ではなく、ナチスドイツと同じ侵略者であり、第二次大戦の勃発の責任を負うべきと批判した。
中露は世界平和の維持、日本のファシズムへの反対などの面で、類似する歴史観を持つ。ロシアの第二次大戦終結日は変更後、中露の抗日戦争勝利記念日並びに世界の反ファシズム戦争勝利記念日と重なった。ロシアメディアもすでにこれに注意しており、報道の中で「ロシアは米国とではなく、中国と共に第二次大戦の勝利を祝うようになった」と伝えた。(筆者・張弘 中国社会科学院ロシア・東欧・中央アジア研究所研究員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年4月26日