稲作文化の奇跡 雲南・元陽県のハニ族の棚田 

人民中国  |  2008-04-28

稲作文化の奇跡 雲南・元陽県のハニ族の棚田 。

タグ:元陽

発信時間:2008-04-28 16:56:38 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

芸術者を感嘆させてやまない「元陽棚田」の美しい線

  長年、ハニ(哈尼)族は棚田で稲作を営み、暮らしてきた。衣食住、生産労働、祝い事や祭祀、宗教や信仰、哲学や思想など、生活のあらゆる方面に棚田文化がしっかりと刻み込まれている。棚田の稲作文化は、すでにハニ族文化の根源となったと言ってよいだろう。

 

雲南省紅河地区にあるハニ族の棚田は、国内外のカメラマンたちの絶好の被写体として人々の目に触れるようになり、世界中に名を馳せた。

 

朝靄に包まれるハニ族の村 

 この地の棚田が「この世の奇跡」とたたえられるのは、5つの理由がある。一、段が多いこと。坂の斜面に連綿と連なる畑は、3000段以上に及ぶ。二、規模が大きいこと。棚田がもっとも集中する地区の元陽県の棚田の面積だけでも、20万ムー(1ムーは6.667アール)に達する。三、歴史が長いこと。この地の棚田は、控えめに見ても明の中期には一定の規模が形成され、少なくとも500年以上の歴史を有するという。四、景色が美しいこと。棚田と一体化した山や雲海、日の出と夕暮れ、また山村風景などが、独自の美しさを見せる。五、深みがあること。棚田は人文景観が自然景観と融合したものであるとして、海外から訪れる人々に「大地の芸術」とたたえられている。

 

さらに、棚田を万里の長城と並べて「人間が創り上げた奇跡」と主張する学者もいる。この二つの違いは、万里の長城は庶民が強制されて完成させたものであるが、棚田は人々が積極的に建設し、千年という月日を経て自然にこのような規模となったという点にある。

 

独特な水利工事

 

秋の刈り入れの後、土を耕すのに忙しいハニ族の男性

   紅河地区ハニ族イ(彝)族自治州にある棚田は、巨大な規模を有し、紅河南岸の紅河、元陽、緑春、金平などのいくつかの県に及んでいる。中でも元陽県は、一番低いところで海抜144メートル、一番高いところで海抜2939.6メートルという高低差の大きな険しい山地である。元陽のハニ族の棚田は主に、壩達の約1万4000ムー、老虎嘴の約6000ムー、多依樹の約1万ムーの3つの地域に分布する。いずれも、現在世界遺産に申請準備中の重点保護区となっている。

 

元陽県は高温多雨の亜熱帯モンスーン気候に属し、年間平均気温15度前後と一年中春のように温暖で、年間平均降水量1397.6ミリと水も豊富である。県内の6万3958.4ヘクタールの森林は、いわば巨大な天然貯水池である。高い山から流れ落ちる無数のせせらぎや湧き出る泉は、この地の棚田、そして人々や家畜に命の水を与えている。「山が高ければ高いほど、水が豊富」なのである。

 

元陽県が位置する哀牢山には、7つの民族が暮らしている。海抜144~600メートルの地帯には主にダイ(傣)族、600~1000メートルの地帯にはチワン(壮)族、1000~1400メートルの地帯にはイ族、1400~2000メートルの地帯にはハニ族、2000メートル以上には主にミャオ(苗)族とヤオ(瑶)族が住んでいる。漢族はほとんどが県城や鎮に、あるいは道路の沿線に住んでいる。

 

ハニ族が暮らす地帯は、水稲の生長に適している。もともと青海・チベット高原に集まり住んでいたが、牧草を追いかけてあちこちに移っていったハニ族の先祖たちは、長い間移動しているうちに、1200年ほど前の隋・唐代から哀牢山地区に定住し、棚田を開墾し、水稲を栽培するようになった。長い歳月をかけて、ハニ族がほかの民族と力をあわせて引いた約6000本の用水路は、まるで銀色の帯のように、山々の棚田と村々をつないでいる。

 

このように、高い山の森林が育んだ清流は、さまざまな民族の人々が引いた新旧の用水路に沿って、村へ棚田へと流れ、高所から低所へと自然に流れつつ、河川に合流し、最後は海にそそぎこんでゆく。

 

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