棚田造りに工夫を
あぜを補修するハニ族の村民。あぜの補修は農閑期の大切な仕事である |
この美しい棚田は、いかにして開墾されたのだろうか。
70歳を超えているというこのハニ族の許さんは、45年前、弟と共に一帯の荒れた勾配を開墾し、棚田を作り始めたころのことを詳しく語ってくれた。
棚田造りに最適な季節は、旧暦の3月ごろである。この時期は気候が穏やかで、土質も乾燥するため、どこから水が滲みでているかがはっきりと見え、あぜを補強やしたり穴をふさいだりするのにも都合が良い。
許氏兄弟はまず、棚田の開墾を地形の選定から始めた。水源があり、勾配の適度な斜面に場所を定める。
次に、斜面の両端に竹竿を一本ずつ立て、棕櫚の葉で綯った長い縄を竿の上に結び、地面に水平に引く。その縄を基準にして棚田の水平を維持する。
ハニ族の男性は棚田と一生付き合ってゆく |
第四段階として、溝(溝渠)を掘り、上の水源とつなげ、棚田に水を引く。人々はこの水を引く溝を命綱とみなしている。受け継がれてきた規則にしたがって、農家の棚田の数に基づいて、相談の上でそれぞれの用水量が決められる。
最後は、泥をこね、鍬で台地の縁に沿ってあぜを造る。二三日して、泥が十分に乾燥した後、さらにあぜを補強する。
一面の棚田を造り終わると、兄弟二人はさらに台地の下へ下へと開墾を続ける。でこぼこの多い斜面を選んだため、掘り出した土だけでは棚田としてならすことができず、石を運んできて斜面の底部から並べてゆく。さらに大量の水を流して斜面の上のほうにある土や泥などを押し流し、窪みに堆積させる。台地は日や雨に晒されていくうちに、土が自然に沈下し、安定した基礎となる。
二人は掘り出した土の塊を何層も積み重ねるようにかぶせながら、あぜをつくってゆく。土をかぶせるたびに、足で固く踏みならす。山の形に従って上から順に下へとつくってゆく棚田は、少なくとも十数段、多くは数十段になり、数百段規模のものもある。緩やかな勾配ではあぜの高さは平均1メートルほどだが、切り立った急勾配では5、6メートルに達する。
こんなごく簡単な道具で、ハニ族の人々は稲作文化の奇跡を生んだ |
棚田造りをしている間、許氏兄弟は山に建てた小屋で寝泊りし、朝から晩まで働きづめになり、棚田造りが完成するまでは家には帰らない。年末には、新たに開墾された六面の棚田が斜面にその姿を現す。翌年、稲の収穫が終わると、二人は早速新しい棚田をならし、取り除いたあぜの雑草を水田に浸して発酵させる。さらに泥をこね、あぜを補強する。
二人は、素足であぜの内側の土を固く踏みならし、さらに泥を掘り出してあぜを高く積み上げてから再びならし、きれいに整える。あぜ造りが完成したら、引き続き、次の場所の開墾に取り掛かる。
こうして、2年間あまりの苦労の末、2人は16面の棚田を開墾した。