棚田・長街宴と観光
ハニ族の一支系「奕車」の女性たち。ショールつきの帽子や襟のない上着、体にぴったりした半ズボンなど、棚田で働くのに適した民族衣装である。足にはいているのは、なんと日本の下駄にそっくり。遥か遠く離れた二つの民族の相似性に、驚きを禁じえない |
元陽県では「昂瑪突祭り」、緑春県、紅河県では豊作を祝う「十月年祭り」のときに、ハ二族のすべての村をあげて長街宴(長い通りにずらりと並べる宴席)を開く。小さい村はいくつかの村が一緒になり、大きい村は2、3カ所に分けられる。2、3日がかりで、宴席の主人役は順番に回ってゆく。主人役になった家々の人々は、それぞれ得意料理を作る。誰よりもおいしい料理をたっぷりと作ることによって、その家の人の面目が立つ。どの家も、まずごちそうを並べたテーブルを祭司の家まで運び。すべてのテーブルを{いちもんじ}一文字につなげて並べ、長いもので7、80メートルほど、100メートル以上並べることもある。遠くから見ると、長い竜のようである。
一堂に会した村中の老若男女は、それぞれ自由に席について飲み食いする。途中、祭司の音頭にあわせ、ハニ族に古くから伝わる「飲酒歌」を合唱する。一年間棚田を耕作した村民たちは、楽しく集うことで、豊作の楽しみを共に享受する。長街宴が開かれているときには、人懐こく客好きなハニ族の村民は、村の外からやって来たすべての客を貴賓とみなし、宴席ついて酒を飲むことをすすめる。
現在、こうした長街宴が県城でも行われるようになった。政府が棚田観光文化フェスティバルの主要プロジェクトに位置づけた長街宴に、国内外から観光客が殺到している。千メートルほどの長い長街宴に参加した観光客は、祝日を祝う盛装姿で道路の両側に並ぶハニ族とイ族の村民たちに熱烈な歓迎を受ける。「道を遮る酒」と呼ばれる酒を飲まされ、刺繍の美しい小さな袋「荷包」を贈られ、竹ひごで編まれたテーブルの好きな席に腰を下ろし、ハニ族ならではの料理に舌鼓を打ち、宴席に興を添える歌と踊りを楽しみながら、少数民族の祭りの熱い雰囲気を体験することができる。
観光客に酒をすすめるハニ族の女性 |
歳のころ60近いイ族の馬理文さんは、もともと元陽県の「文聯」(中国文学芸術界聯合会)の作家として創作活動をしていたこともある、元文化局の局長である。かつて頻繁に観光客を棚田に案内していたことで、多くの人の撮影した写真を見ているうちに興味を持つようになり、自分でも写真を撮り始めた。そのうちに自分でも意外なほど、カメラを手放せなくなってしまったという。この土地の風土と人情を熟知し、棚田と芸術を愛し、こだわってきた馬さんは、棚田の美しい写真を大量に撮影した。作品は展覧会でたびたび賞を取った。アメリカの雑誌の表紙を飾ったこともある。その後、局長の職を辞し、プロとして撮影を続けるようになった。現在、元陽県の街頭や名所で販売している葉書、画集などの様々な棚田の写真は、ほとんどが馬さんの撮ったものである。大きく引き延ばされ、ホテルや政府機関の会議室、街頭のポスターになった作品も少なくない。
「元陽県の棚田の人気は年々高まっています」と馬さん。彼が1年間に迎える国内外の観光ツアーの数は百以上に上る。全国の省クラスの撮影協会の主席の半数は元陽県に来たことがあるという。いずれも馬さんの案内である。ガイドを頼まれて案内した海外の写真家の国籍も数十カ国に上る。80年代以降、日本からも多くの研究者が「ルーツを尋ねて」哀牢山へやって来た。その研究者たちの著作に、雲南省は「アジアの給水塔」と呼ばれ、古代の人が中国から東アジア、東南アジアそして南アジアへの「移動の中心及び文化交流の中心」であったことが書かれているという。哀牢山の棚田は「日本のコメ文化の発祥地」である可能性も高いといわれる。
馬さんによれば、元陽県の棚田撮影には、11月から翌年4月までが最高の時期であるという。この期間には、大勢の撮影愛好者が写真を撮るためだけにこの地を訪れる。春節やメーデー、国慶節などの連休中には、一カ所の撮影ポイントに、カメラの三脚台を立て日の出の写真を狙う人が数千人集まることもある。この壮観な撮影者の群れに焦点をあわせて写真を撮っていた海外の写真家がいた。その写真家の「なぜ中国にはこんなに多くのカメラマンがいるのか」という質問に、馬さんは笑いながら答えた。「プロのカメラマンとは限りません。趣味の撮影マニアが多いのですよ」
棚田の発見について、馬さんは次のように説明してくれた。最初は外国人が人工衛星が撮った画像から元陽県の棚田を発見した。続いて、香港や台湾の写真家が相次いで発見。その後、北京や上海、広州の写真家も元陽県に集まってくるようになった。雲南省の人々は、まるで夢から覚めたばかりであるかように、自分たちの故郷に世界一の景観があることに気づかされた。しかし、この大地芸術の創作者であるハニ族の人たちは自分たちがつくりあげた奇跡をそれほどたいしたものであるとは考えていない。彼らにとって、棚田の外観を楽しむことよりも、コメの生産量を気にすることの方が大切なことなのである。(魯忠民=文・写真)
インフォメーション |
▲交通・宿泊 昆明から直接元陽の新県城(昆明から270キロ)へ、または、昆明からまずバスで紅河州の州都・蒙自県へ行き、元陽の新県城行きのバスに乗り換える。そこでさらにバスを乗り換え、約30キロ離れた旧県城の新街鎮へ。宿泊は、旧城内のホテルを拠点に各観光ポイントを回るのが便利。また、村の観光ポイントには食事、宿泊が可能な民宿もある。撮影には、また特に日の出を撮りたい場合には、個人ドライバーの車をチャーターするのがベスト。祭りの日の「長街宴」に参加したい場合には、ホテルか旅行社に問い合わせる。郷・鎮・村の「長街宴」では外から来た人はみな客と見なされ、費用はかからないが、必ず帽子を被ること。男性の席は自由だが、女性は女性専用席のみ。 |
「チャイナネット」2008年4月29日