ハニ族の祭りと棚田の農作
祭司が村の男たちを率いて「竜樹」の前で神様を祭る |
元陽県箐口村は、旧県城の新街鎮から南へ6キロ離れたところにある150戸、800余人が暮らすハニ族の村である。ハニ族の伝統的な風景が少なくないため民俗村に認定され、観光客がハニ族の暮らしを理解するための生きた博物館となっている。
石畳の道に沿って村に入ると、すばらしい棚田の風景を楽しめるだけでなく、ハニ族の「蘑菇房(キノコの家の意。レンガを積み上げた壁に、茅葺き屋根の住宅。形がキノコに見えるため)」、神林(神樹のある林)、用水路、水の碓部屋などの生産、生活施設や、ハニ族の服装や飾り、犂、マグワ、機織り機などの道具を見学することもできる。
村のほとりにある神林で、村人たちは「寨神」(村の神様)の祭祀を取り行っている。ハニ族のすべての村には神林と神樹があり、それぞれ「風水林」と「寨神」と見なされ、決して損ねるようなことがあってはならないと考えられている。毎年「10月年祭り(旧暦の10月を1年の始まりとする)」の後に、村の安定と保護を願って寨神に祈りを捧げる。
祭祀儀式の主催を担当する祭司とその助手は、豚を屠り、肉を切り分け、大きな鍋に入れて煮込む。茶、酒、豚肉をそれぞれ三碗、さらに料理した鶏、豚の頭、クチナシの汁で黄色に染めたもち米のご飯を供物台に並べ、「竜樹」の下に運ぶ。また、祭司が各家の男性代表を率いて、供物を捧げ、拝む。祭祀が終わると、祭司が供物を分け、みんなで食べる。これを「竜肉」を食すといい、すべての家族や祖先が神様の保護を受けられることを表すという。
菁口村では、村民が観光客のために歌い、踊る |
豊かな祭り文化を誇るハニ族の祭日は、数え切れないほど多い。しかし、気をつけてみると、祭日の核心は、ほとんどが棚田の農作にかかわる祭礼である。また、その時期は農作の節気交替期にあたり、節気及び農作のプロセスを提示するという二重の役割がある。
例えば、「十月年祭り」は年末年始の印であり、秋の取り入れが終わり、農閑期に入ることを示す。ハニ族の暦法では、旧暦10月は1年の始まりであり、漢族の春節(旧正月)に相当し、ハニ族にとってもっとも大切な祭日である。この祭日の主題は、豊作を祝い、祖先とともに収穫を楽しむことである。さらにみんなで掃除したり、もちをついたり、祖先を祀ったりする活動も含まれる。そして、家族全員でテーブルを囲み、一家団欒を象徴するもち米の団子を食べる。まず棚田での農作の苦楽を共にする牛に団子を食べさせ、ねぎらいの気持ちを表す家もある。
祭りが終わると、皆一緒に食事をする |
「康俄溌」は、標準語に訳せば「開秧門」、旧暦の3月の田植えが始まる日である。この日は「田植え娘」が嫁に行く日とされ、ハニ族の娘たちや新婦は晴れ着を身にまとう。親しい友人たちも苗代のそばに集まる。まず主婦が一束の苗を抜き、村の人望ある年長者に最初の苗の田植えを頼む。それから、みんなも田植えを始める。
「莫昂納祭り」は、標準語では「関秧門」という。旧暦の4月に行われ、春と夏の変わり目で、春の農繁期の終わりを示す。豚をつぶして祖先を祀るほか、牛や鋤、マグワ、ナタなど棚田で使う農機具を祀り、家畜や農機具に対する労いの気持ちを示す儀式も行われる。各家庭ではさらに、自分の棚田の入水口で、水源を祀る儀式も行う。
「矻扎扎祭り」は、標準語で「6月祭り」という。旧暦の6月24日ごろの夏から秋への変わり目で、秋の取り入れの農繁期に入ることを示す。主に牛をつぶし秋を祭り、「磨秋」(シーソーに似たもの)に乗ることもある。言い伝えによると、ハニ族の人々が棚田のあぜをつくるとき、アリやミミズなど虫たちを排除してしまった。追い出された虫たちが天の神様に告げ口すると、神様はそれに答え、虫を殺した人は罰として天に投げる、と約束した。神様はまた同時にハニ族の人々に、磨秋に乗って遊ぶことで、虫たちに罰を受けたかのように見せかけてごまかすよう教えたという。
このほかに、新米を味わい、穀物倉庫を祀るといった祭りもある。いずれも豊作を祈り、穀物を貯蔵するなど実用的な目的のために設けられた喜びの祭りであるが、農耕作業を遅らせることのないようハニ族に注意を促す目的もある。ハニ族の人たちが暮らしの安定と五穀豊穣の願いを宗教的な形で表し、代々敬虔に行ってきたこのような伝統的農耕祭礼は、棚田文化の重要な風景となっている。