重慶はもともと四川省が管轄する市であった。四川省から離れて中央直轄市になることは、中央の行政管理体制と機構改革の大きな出来事であり、その意義は四川省と重慶市の区画調整にあるだけでなく、また重慶市の単なる行政昇格でもなくて、中国が中・西部地区の経済と社会の発展を速めるために取った重要な措置である。重慶直轄市設置以来の実践が証明しているように、諸活動が幸先のよいスタートを切り、発展の見通しが明るいものであり、これは全中国ないし全世界の注目を集める焦点となっている。ここでは重慶の概況、中国の経済発展における重慶の地位、重慶の経済と社会発展の状況などを紹介する。
中国の面積最大、人口最多の直轄市
特殊な直轄市 面積と人口だけから言えば、重慶直轄市は次のような二大特徴がある。
――面積が特別に大きい。重慶直轄市の面積は8万2400平方キロ、北京、上海、天津の三直轄市の総面積の2.4倍である。43の市・区・県を管轄するが、その数は前述の三直轄市が管轄する区・県総数の75%に相当する。
――人口が特別に多い。1997年末、重慶直轄市の人口は3042万9000人に達し、北京、上海、天津の三直轄市の総人口の約83%に相当する。その中の農村人口は都市人口よりずっと多く、全市総人口の80%以上を占めている。
重慶直轄市は、世界の面積最大、人口最多、農村人口の割合が最高の特大型都市でもある。
歴史的沿革 重慶は3000余年の長い歴史を持つ、有名な歴史的文化的都市である。2、3万年前の旧石器時代末期には、重慶地区にはすでに人類が住んでいた。商代から戦国時期(ほぼ前16世紀〜BC221年)にかけて、重慶は巴国の国都であり、秦代から後漢時期(BC221年〜220年)に巴郡が設置され、その時から重慶は「渝」と略称されるようになった。北宋時期(960年〜1127年)に恭州に改称された。1189年、南宋の趙惇はまず同地で恭王に封じられ、その後は帝位につき、「二重の慶事」と自慢したため、恭州を重慶府に昇格させた。重慶という名称はこうしてつけられた。明・清時期(1368年〜1911年)、重慶は商品の集散地、商品が雲集するところとなり、1891年、商港に指定され、税関が設けられ、水運、商業貿易、金融および加工業が日増しに盛んになり、中国の西南地区、長江上流地区と世界をつなげるようにした。1929年、重慶は正式に市制がしかれた。1937年、抗日戦争爆発後、国民党政府は南京から重慶に移った。1939年、重慶は行政院管轄市に昇格し、1940年から国民党政府の「副首都」となり、当時中国の政治、経済、金融、商業貿易、交通、文化、及び外交活動の中心であった。1946年、国民党政府は南京に戻ってから、重慶は依然として行政院管轄市であった。
1949年の中華人民共和国成立後、重慶は中国共産党中央西南局と西南軍政委員会所在地であり、西南地区の政治、経済、文化の中心であり、中央直轄市であった。1954年、大行政区制度が取り消されてから、重慶市は四川省管轄の都市となった。1983年、国は重慶を第一陣の経済体制改革試行都市、計画独立市に組み入れ、省クラス経済管理権限を授けるとともに、貿易港とすることになった。90年代に入ってから、中国は長江開発・開放戦略を実施し、重慶は長江沿い開放都市に指定された。1996年9月、国務院の認可を得て、四川省は万県市、涪陵市、黔江地区を重慶に委託して管理させた。1997年3月、第八期全国人民代表大会第五回会議は、重慶直轄市を設置し、元の重慶市を取り消すことを審議、認可した。重慶直轄市は元の重慶市、万県市、涪陵市、黔江地区が管轄した区域を管轄する。
地理的環境 重慶市は長江上流の東経105°17′と110°11′、北緯28°10′と32°13′の間に位置し、東西の幅は470キロ、南北の長さは450キロ、東は湖北省、湖南省と、南は貴州省と、西は四川省と、北は陝西省とそれぞれ隣接している。地形は南と北が高く、真中が低く、南と北から長江の河床へと傾斜している。地貌は丘陵と低い山を主とし、海抜はたいてい500㍍以下である。主な川は長江、嘉陵江、烏江、涪江、綦江、大寧江などがある。
重慶の気候は亜熱帯モンスーン湿潤気候に属し、年平均気温は摂氏18度、一月の平均気温は摂氏7.5度、七月の平均気温は摂氏28.5度。霜と雪が少なく、雲と霧が多く、冬は暖かく、夏は暑く、春が早く、秋が短い。雨量が充足し、降雨量は1000〜4000ミリ、春から夏の変わり目に夜雨が多く、昔から「巴山夜雨」という言い方がある。
天然資源 重慶で発見、採掘された鉱産物は40余種、埋蔵量が確認された鉱産物は25種あり、主なものは石炭、天然ガス、ストロンチウム、硫化鉄、岩塩、ボーキサイト、水銀、マンガン、バリウム、大理石、石灰岩、重晶石などがある。天然ガス埋蔵量は3200億立方㍍、全国でも重点的に採掘する大鉱区である。ボーキサイト埋蔵量は7400万トン、岩塩埋蔵量は3000億トン、ストロンチウム埋蔵量は185万トンで全国一である。マンガン、バリウムの埋蔵量はそれぞれ全国第二位、第三位を占めている。
重慶は中国で生物の種類の豊富な地区の一つで、維管束植物は2000種以上あり、「小峨眉」と呼ばれる縉雲山だけでも、亜熱帯の樹木が1700余種に達し、今でも1億6000万年前の「活きた」化石のメタセコイアおよび伯楽樹、飛蛾樹など世界でも希な珍しい植物が残っている。国家クラス自然保護区の南川金仏山では、喬木が1000余種、竹類が17種、「金山四絶」と呼ばれる銀杉、杜鵑樹王、大葉茶、方竹笋は内外にその名を知られている。重慶は中国の重要な漢方薬材料産地の一つでもあり、広い山間地帯では数千種の野生と人工栽培の漢方薬材料になる薬草が生えている。その中の黄連、五倍子、金銀花、厚朴、黄柏、杜仲、元胡などの生産量が最も多い。
重慶地区には動物が380余種もあり、そのうちの野生の珍しい動物は毛冠鹿、林麝、麝香猫、川獺、雲豹、赤毛猿、紅腹錦鶏などがあり、飼育している動物は60種余種、豚、羊、牛、兎は強みをもつ家畜で、栄昌は全国の有名な豚種基地で、石柱は長毛兎の飼育・加工・輸出基地である。淡水魚は120余種あり、長寿湖、大洪湖は重慶の養魚基地である。
重慶には河川が縦横に交錯し、用水路が網のようにはりめぐられ、水資源が非常に豊富である。全市の水資源総量は年平均5000億立方㍍に達し、水エネルギー総埋蔵量は1440万キロワットで、そのうち、開発できる部分は750万キロワットに達し、全国の大都市の中で第一位にランクされている。重慶地区は石灰岩の地質と地貌が際立っており、鍾乳洞がわりに多く、飲用に供する熱いミネラル・ウォーターが豊富にあり、開発の見通しは明るいものである。
観光資源 重慶の市街区は長江、嘉陵江に囲まれており、各種の建物は山に沿って建てられ、軒を並べていることから、「山城」と呼ばれている。「山城の夜景」は世界に聞こえ、夜になると、家々の明かりは星の群れのようで、空の星と渾然一体となり、奇観と言える。近い郊外には南温泉、北温泉と避暑勝地の縉雲山、南山などがある。遠い郊外には江津四面山原始森林、万盛渝南石林、武隆芙蓉洞、仙女山高山草原、南川金佛山森林公園がある。長江沿岸、雄壮な山峡の自然景観および巫山、大·小寧河峡谷の風光を観賞し、雲陽竜缸、神技の天坑·地縫、巫渓の紅池壩、高山草原および夏氷洞、巫山紫陽河の三色瀑布群など山、水、泉、滝、峡、洞を一つに集めた自然景観を観ることができる。長江山峡ダムが完成すれば、長さ600キロ、面積1000余平方キロの「高峡平湖」ができ、旅行、レジャー、観光、休暇の勝地となる。
重慶には人文観光景観もたくさんある。紅岩村革命記念館(八路軍重慶事務所)、歌楽山革命烈士陵園(渣滓洞、白公館)および蒋介石官邸、桂園(張治中邸宅)、林園(林森官邸)、孔園(孔祥熙官邸)と陪都遺跡などは、歴史の跡をたどることができる。大足の宝頂山では石窟芸術の珍宝である石刻群を観賞することができる。ヨーロッパの人々から「東方のメッカ」とたたえられている合川釣魚城は、中国の有名な三大古戦場の一つである。豊都の「鬼城」と鬼王石刻、涪陵の「水底碑林」白鶴梁、石柱の西沱雲梯、忠県の石宝寨、雲陽の張飛廟、梁平の仏教勝地双桂堂、劉備が孤児を託した奉節の白帝城、巫山の陸遊洞、および巴人の懸棺などは、なおさら長江山峡の自然風景と互いに照り映えている。
中国の経済発展における重慶の地位
重慶直轄市の設置は発展の選択 重慶を四川省から切り離すという構想は長年温められ、中国が中·西部経済の発展を加速し、東部と西部の格差を縮小する戦略の推進につれて、日増しに熟してきた。
重慶は中国の版図においてきわめて重要な地理的位置を占めている。重慶は長江大動脈の上流、雲南、貴州、四川の三省が交える、中国東部の経済発達地区と西部の資源豊富地区の結合部にある。中国の第九次「国民経済·社会発展五カ年計画と2010年までの長期目標綱要」は七つの省·自治区·直轄市にまたがる経済区域を企画しているが、その一つは長江でルターと長江沿い地区であり、もう一つは西南と華南の一部分の省·自治区で、重慶はこの二大経済区域にまたがっている。中·西部発展戦略を実施する中で、重慶は東部と西部を結びつける紐帯の役割を果たしている。
重慶の特殊な地位にかんがみ、それに四川省の面積が大きすぎ(フランスより大きい)、人口が多すぎ(イギリスとフランスの総和に相当する)、管理が不便であることを加えて、早くも80年代初めに、重慶を四川省から切り離す構想が提出された。元の重慶市を直接直轄市に昇格させる構想があり、川東省や三峡省を設置する構想もあったが、これらの案はいずれも否決された。
論証を繰り返し、長期から考慮し、全局から出発して、中国政府は重慶直轄市を設置し、四川省から長江三峡ダム地区にある涪陵市、黔江地区、万県市などを切り離して重慶市に管轄させることが、四川省の人口が多すぎ、面積が大きすぎ、管理しにくいことを解決する最良の方法であると考えた。こうすれば、重慶直轄市は四川東部の山間地帯の経済発展と三峡ダム地区の住民の移転活動を重点的に担当し、四川省は四川西部にある少数民族地区の発展を重点的に支持することができる。
重慶市が直轄市となってから、重慶の人々はほとんど、三峡工事がなければ、三峡の百万の住民の移転がない、三峡の百万の住民の移転がなければ、重慶直轄市設置の動議もないというロジックをよく知っている。アナリストによると、三峡ダム地区の経済発展は大都市の有力な支持が必要である。これは中国が重慶直轄市を設置する主な動因であり、重慶直轄市と四川省が今後発展するに当たっての選択でもある。
重慶の経済社会現状
工業 重慶市は中国の近代工業がわりに早く発展した都市と重要な古い工業基地の一つであり、重工業を主とし、業種が揃い、ワンセットとなる能力がわりに強い。全市に国有大中型企業が360社あり、独立採算工業企業の固定資産原価は800余億元に達し、従業員170万人を擁している。中国の重要な機械工業基地、通常兵器製造基地、総合的化学工業基地、医薬工業基地、計器工業基地として、重慶市は自動車・オートバイを主とする機械工業、天然ガス化学工業、医薬化学工業を重点とする化学工業、良質鋼材と良質アルミ材を代表とする冶金工業がすでに支柱産業となり、機械・電子設備、電子情報、建材、食品、日用セラミックス、日用化学工業などの業種も、かなり強みをもっている。
近年、重慶市の自動車・オートバイ工業の発展はかなり速く、大型、小型、ミニ型の自動車と経済的乗用車はいずれもスケール生産を形成している。1997年の生産は自動車16万900台、オートバイ176万8200台で、中国西部地区の自動車生産基地となりつつある。重慶市の軍需企業は研究と生産能力がわりに強く、全国でも率先して民需品生産に切り換え、軍需品と民需品を結びつけて新興産業、目玉商品を発展させる道を成功裏に歩み、民需品生産額の比重が約90%に達し、しかも「軍需品から民需品への転換」を「内需品から輸出品への転換」に換えつつある。
重慶市は中国の天然ガス生産地であり、1996年の天然ガス生産量は26億1000万立方㍍に達し、1997年はまた増えた。重慶市の医薬工業生産額は西南地区の30%以上を占め、西洋薬の強みがかなり著しく、計器製造工業は大型プロジェクトの自動化制御システム・プラントを設計、製造することができ、冶金工業は1000余の品種を精錬し、圧延することができ、西南アルミ加工工場の技術・装備水準、生産・研究能力はともに全国でもトップであり、1万3000の規格のアルミ材を生産することができる。
重慶市の軽工業にはすでに一部のブランド品が現われている。そのうち、「五つの有名なブランド」といわれている奥妮シャンプー、兆峰セラミックス、冷酸霊練り歯磨き、北玻容器、重慶ビールなどは全国の同種製品の中でも先進的なものであり、市場でかなり大きなシェアを占めている。
農業 重慶は湿潤温和の亜熱帯気候に属し、複雑多様な地貌や土壌の類型は、農業生産の発展に向いている。全市の農地面積は162万2000ヘクタール、主要な農作物は稲、トウモロコシ、小麦、芋類、豆類、油菜、綿花などがあり、全国の重要な穀物産地と商品豚肉の生産基地である。重慶市はまた全国有名な良質果物、ザーサイ、オオアブラギリの油、葉タバコの産地でもある。江津の蜜柑、梁平のザボン、涪陵のザーサイ、万県のオオアブラギリの油、黔江の葉タバコなどは全国に聞こえている。繭、家禽、茶などの農産物と副業生産物も市場でかなり大きなシェアを占めている。1997年、全市の穀物生産量は1185万トンと史上最高を記録し、肉類生産量は141万9000トンに達した。郷鎮企業はすでに重慶市の経済発展の重要な構成部分となり、1997年の生産総額は517億元を計上した。
商業・金融 重慶市は長江に恵まれており、長年来長江上流と西南地区の重要な商品と物資の集散センターである。現在、全市に各種商店、飲食店、サービス業の商店が約40万軒あり、1997年の社会消費財小売額は507億9000万元に達し、全国の大都市の中で上位を占めている。重慶市は各種の消費財と生産材総合市場が1000余ヵ所、食糧・食用油、肉類、野菜、果物などの自由市場が2350ヵ所ある。西南地区で最も早く開設され、管理がわりに規範化した商品先物取引市場――重慶商品取引所の商業物資の買付・販売活動は全国各地に広がっている。
重慶では、人民銀行を指導とし、国有商業銀行を主体とし、その他の商業銀行、ノンバンクおよび海外金融機関が結合した金融システムがほぼ形成され、金融ネットワークが都市と農村をくまなくカバーしている。交通銀行重慶分行など多くの商業銀行は業務が西南地区をカバーする区域的銀行となった。数行の外資銀行は重慶で金融業務を展開しているかまたは積極的にその準備を進めている。スコティア・バンク・オブ・カナダ、日本の住友銀行、香港の宝生銀行などは重慶に支店を設けている。1997年末、全市の金融機関の預金残高は1082億2700万元、貸付残高は1156億1300万元であった。外国為替市場は速やかな発展を遂げ、重慶の外貨取引市場はすでに西南地区最大の取引市場となった。証券市場の融資規模は絶えず大きくなり、1997年末現在、重慶の上場会社は22社に達し、その数はわずか上海市と深圳市に次ぐものである。慶鈴(グループ)株式有限公司は香港でH株を発行した。
交通、通信などのインフラ建設 長江上流と西南地区最大の水陸交通中枢として、重慶は鉄道、道路、水運、航空、パイプライン輸送を含む総合的な輸送体系を擁している。鉄道は全国の鉄道網と接続する成渝(成都=重慶)、襄渝(襄樊=重慶)、川黔(重慶=貴陽)という三本の電化鉄道幹線がある。道路は成渝高速道路を含めて21本の幹線道路があり、そのうちの17本は雲南、貴州、四川、湖北、湖南、陝西と接続する、省に跨る道路で、四通八達する交通網を構成している。水運は長江の「ゴールデン水路」をよりどころとして、数十の港と貨客埠頭を建設し、千トン級の汽船が年中長江を下って海外に直航できる。長江三峡工事が完工すれば、万トン級の船団は長江を重慶まで遡ることができる。重慶の江北空港は国際空港の基準で拡張と整備を行なっており、現在はすでに国内の主要都市に飛ぶ40余本の航空線および香港、澳門(マカオ)に飛ぶ定期便とバンコク、シンガポール、クアラルンプール、名古屋などに飛ぶチャーター便を開設している。1997年、全市交通部門の貨物輸送は5929万トン、旅客輸送は延べ2億7336万人を達成した。
重慶は西南地区の郵便・電信業務の指揮センターと全国の重要な通信中枢であり、すでに重慶からそれぞれ武漢、西安、貴陽、昆明、成都に至る5本のマイクロ波幹線通信網および重慶からそれぞれ武漢、西安、成都に至る3本の大通路ケーブルを建設した。電話は全国各地と世界の180余カ国・地域に直接ダイヤルすることができる。郵便は国内の各大中都市間の速達郵便、EMSなどの業務を始め、また国際郵便物交換業務を開設して、郵便物を世界の100余カ国・地域に郵送することができる。
科学技術・教育 重慶の科学技術力は比較的強く、全市に各種の研究機構と技術開発機構が1000近くあり、そのうち、市直属以上の独立した研究機構は78、国家クラスと市クラスの各種重点的実験室、工事技術センター、企業の開発センターは17あり、各種の専門技術者は56万人(そのうち、中高級専門技術者は19万人余り)である。
重慶の教育事業もかなり発達し、全市に各種学校が2万5000余校あり、在学学生数は400余万人に達している。そのうち、大学と高専は25校。重慶大学、西南農業大学、西南政法大学、西南師範大学、重慶医科大学、第三軍医大学などは、いずれも全国有名な学府である。