大理城の北西のところに三つの塔が雲まで届くように聳え建っている。これが有名な崇聖寺の塔である。崇聖寺の三塔は大きな塔1つと小さな塔2つからなり、四角形で中空レンガづくりの塔である。高さ69.13㍍で、16層からなる。構造は西安の小雁塔に似ており、典型的な唐代の建築様式である。塔の台座には「永鎮山川」という四つの文字が刻まれており、明代の黔の国の公沫英という人の子孫のあたる孫世階が揮毫したものである。雄渾で力がこもった字である。南詔の豊の頃(紀元823年―859年)に建てられたものである。南北にある2つの小さな塔は10層ぐらいからなり、高さは約43㍍で、八角形の密閉式の塔である。十一世紀頃(大理国の時代)に建てられたものである。千年以上も風雨にもさらされ、地震にも見舞われたが、依然として蒼山、洱海の間に聳えたっている。これはパイ族の人たちの建築技術のレベルの高さを示している。1978年に三つの塔を修復した際、金、銀、銅、鉄、木、玉石で作った仏像や仏経、銅鏡などの文物680点が発見された。これはこれまで南詔および大理国の時期のものとして発見された文物がもっとも多かったケースで、南詔および大理国期の経済・文化を研究するための重要な手がかりとなっている。近年、三つの塔には文物展示室、鐘楼、三塔の夜景というスポットなどが増設された。目下建設中の雨銅観音殿もある。これらの新しい施設によって三塔がさらに美しくなり、観光客の仏教に対する知識を深めることにもなろう。