竜門洞は峡谷の景色、地質学を内容とする観光、断崖の彫刻芸術を一体化させ、昔から清音閣とともに「水の景観の二大名所」と称されてきた。
峨眉河の中流に位置し、報国寺の北西2.5キロを離れたところにある竜門洞は、二つの山が門の形のように向かい合っており、門には大きな穴がある。言い伝えでは、神である竜がその中に住んでいたことがあり、竜門洞あるいは竜門峡という名称はこうしてつけられた、といわれている。流れる谷川が碧玉のごとく澄みきっているため、この区間の峨眉河は玉渓、玉峡、種玉渓とも称されている。
ここにはもとは「二匹の竜が水と戲れる」、「穴の口から玉を投げる」、「竜門で魚を観賞する」などの景観であった。
洪水にあった時、竜門峡谷と向かい合っている山の絶壁から、滝の水が勢いよく流れ落ち、また何本かの小川が何匹かの竜のように曲がりくねって峡谷を流れている。これは「九匹の竜が水を吐く」あるいは「九匹の竜が泳ぐ」と称されている。
竜門峡には、吊り橋がかかっている。峡谷には長さ数メートル、紫色と灰色が入れ違うようになった岩石層があり、舟の形をしていて、谷川の上に横たわってる。普賢菩薩が峨眉山に登った時、経書が満載されているこの「仙舟」に乗り、ここに停泊したことがあると伝えられ、「普賢船」と称され、「菩薩船」とも称され、一般の人びとの間では「石船子」と称されている。夏と秋になると、水位が上昇し、石の舟が河の上で風に乗り、波をけつてつき進んでいるように見える。川沿いの岩壁、岩石の上には、波のあとが残されている。地質学者の考察の結果、2億余年の前には、竜門洞は海の入り江だったことが分かっている。人々は有史以前のこの地の美しい景観を想像することができる。
竜門洞の岩壁の上には、南宋の頃の嘉州太守孫富春が書いた「竜門」という力のこもった二つの字が刻まれている。洞窟の壁の上には詩が刻まれ、岩の出入り口は常に水底に埋没しており、渇水期になると「竜門」石刻が水面に現されことになる。
「チャイナネット」2002年4月18日