発展しつつある砂漠産業
車は砂漠貫通道路を疾走した。大風が砂を巻き上げ、車のガラス窓に当たってパチパチと音を立てた。「我々の車はおそらくこれ以上、奥地へ入れない。迎えに来させよう」。案内の韓玉光さんはそう言いながら、ウリゲンダライさんの携帯に電話を入れた。
ウリゲンダライさんの貨客両用車に乗り換え、さらに一つまた一つと、砂丘を越えて行った。すると遠くかすかに、樹木らしきものが現れた。「あれがウリゲンダライさんが植えた樹木だよ。夏になると鬱蒼とした緑になりますよ」と韓さんが紹介した。中国語が上手く話せないウリゲンダライさんは、にっこりと笑うだけだった。
やがて、きれいなレンガづくりの数棟の平屋の前に来た。家の後ろには、風力発電装置が高々とそびえ、風に吹かれて回転していた。「風のない時は、ソーラー・エネルギーで発電します」とウリゲンダライさんは言った。
ウリゲンダライさんの一家は4人家族。妻は用事で外出していた。2人の息子は、鎮の学校で勉強しているので、今は2人暮らしだ。部屋に入ると、ソファー、テレビなど家具はすべてそろっていた。炊事や風呂は、プロパンガスや給湯器を使えるようになったという。来るまでに想像していたのとまったく違う。
特にびっくりさせられたのは、数十キロ四方に人家のない場所で、ウリゲンダライさんはパラボラアンテナにより、16のテレビ局の番組を見ることができ、さらに、給水塔を建て、水道の水を使っていることだった。
ウリゲンダライさんの今の生活は、長い苦労の結果、ようやく手に入れたものである。彼と奥さんは、砂漠貫通道路の建設の際、2万ムーの砂地を請け負い、黙々と樹木を植えた。昼食は家に帰ってとることができず、干したナンをかじるだけだった。
砂漠の氷が解ける前に春季の植樹の準備を済ませておくために、ウリゲンダライさんは60キロ以上離れたところまで行って苗木を運んできたこともある。1997年の大晦日、彼はトラクターを運転して苗木を運びに行ったが、トラクターが砂漠の中で立ち往生し、正月の元旦になってやっと苗木を家まで運んだ。
1997年から今日までに、ウリゲンダライさんが砂を治めるために植林した面積は5万ムー以上に達する。彼は自分がつくりあげた「オアシス」に、牧場をつくり、羊400数頭、馬10頭、肉牛十数頭を飼っている。