知る人ぞ知る、中日「ランの花外交」 その一

知る人ぞ知る、中日「ランの花外交」 その一。

タグ: 中日 貿易

発信時間: 2010-09-07 17:15:59 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

松村氏は、日本国内で中日関係の正常化に力を注いでいた政治家だ。幼いころから漢学を学び、ランの花を好むなど、中国に対して特別な感情を持っていた。

松村氏は1959年と1962年に、代表団を率いて2度訪中しており、周恩来総理とも、段階的に両国関係を正常化させるという共通認識に達していた。氏の訪中期間中、両国は「LT貿易備忘録」に調印、東京と北京がそれぞれ常駐の貿易連絡所を設立し、互いに記者を派遣する、有名な「備忘録貿易」がスタートした。

しかし、備忘録貿易実施のプロセスにおいては、数多くの困難があった。まず、日本政府が中国に対するビニロン・プラントの輸出をなかなか許可しなかった。さらに、両国による連絡所設立も抵抗にあった。また、米国と台湾からのプレッシャーは、池田内閣をさらにおびえさせた。

形勢の転換にあせった松村氏は、中国から「ランの花代表団」という名目で代表団を招き、日本政府と貿易について話し合いを行い、膠着状況を打破することを思いついた。

このやり方は非常に巧妙だったと言える。松村氏がランの花を愛していることは周知の事実だ。ランを通じた交流、という名義で中国代表団を日本に招けば、不必要なトラブルを回避できる。松村氏の真意を知った周総理と廖承志氏はすぐに代表団を訪日させ、両国の貿易と連絡所設立問題について話し合いを行い、これをきっかけに記者の相互派遣が実現できるよう希望した。

「人民網日本語版」2010年9月7日

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