記者:石油危機以降、日本では「産業の高度化圧力」と「円高」という二重の圧力にさらされた。この二つの選択は本来矛盾しているものだが、現在の中国の状況と似ているように思える。
李克:「プラザ合意」での教訓は、人民元高を考えるにあたって非常に参考になる。円が上昇しているとき、日本経済はまさに高度成長の時代だった。常に上昇する円は、当時の日本の製造業にとって大きな圧力になっていたと同時に、デフレ圧力にもなっていた。そのため日本銀行は金融緩和政策を実施した。一般的にこのような政策は、投資と消費を促進させる。しかし当時の日本は、それによって巨大な資産バブルが起こり、円がさらに高騰した。そして国際資本がそれに拍車をかけることになった。
1980年代のプラザ合意以降、円は急速に高騰した。これは事実上、1990年代不況の導火線の一つとなった。そのため、人民元の上昇政策はおおむね正しいものの、その速度はコントロールすべきだ。急激な上昇はよくない。