戦後の日本において、1945~1980年あたりが、急激に都市化が進んだ時期だと言われている。当時、高度成長期にあった日本では、不足する労働者を補うために、地方農村の中学校・高等学校卒の若者を「集団就職」させる企業も少なくなかった。
こうした高度成長による社会の急激な変化に伴い発生した数々の問題は、今、中国の大都市における過密化の弊害とよく似ている。交通渋滞、貧富の差、社会的弱者の権利・利益の侵害などはその代表的な例である。日本でもかつて、中毒患者を出した「ヒ素ミルク事件」もあったし、経営側の安全管理の怠慢により多数の死者を出した炭鉱爆発事件もあった。
1960年代の東京の地下鉄と言えば、今の北京市の地下鉄一号線と同様、その混雑の激しさで有名だった。当時の東京は、都市化が最も進展した時期にあり、地方からの人口流入が著しく、公共交通機関は混雑を極めていた。今では、その輸送力は増強され、混雑度も緩和されている。そうした状況下で、女性が安心して乗車できる事を目的とした女性専用車両の導入に踏み切る鉄道事業者も多くなっている。
また、日本でもかつて大規模な都市計画事業による立ち退きを巡る騒動が発生している。成田空港建設のための用地買収に対する反対運動は死者を出すほどに激化し、今でも完全には収束していない状態だ。