前世紀80年代の初期に日本を訪問した際、日本のサラリーマンがマイカーを運転してあちこちへ案内してくれたが、私は自分たちの世代はこのような暮らしはできない、次の世代のことであろうと思っていた。また、北京の一般市民はスイカを冷たい水道水で冷してうれしそうに食べていたが、日本の一般家庭ではその頃すでに電気冷蔵庫をあたりまえのように使っていた。
それから10数年も経たないうちに、私たちも冷蔵庫を使うようになり、ウィスキーの水割りをも飲むようになった。そして、今ではどうか、子供たちの世代はSUVを乗り回しているではないか。子供たちの物の考え方も、私たちよりさらに進んでいるのである。
かつて、中国西部の人たちは改革・開放意識が遅れているといわれていたが、テレビの普及、インターネットの普及、深圳、上海、北京などへの「出稼ぎ」や、党学校での学習で、大都市の人たちとほとんど違わないほどになっている。