「人民日報」が伝えたところによると、テレビドラマ「手機」(携帯電話)の第21話にこんな場面がある。明かりが皓々とついているが客が一人もいない高級レストランで、農村から来た老婦人の厳さんが費教授に尋ねる。「費先生、この明かりは一晩中ついているそうですが、一体いくらかかるんでしょう。国から文句が来ませんか」。
費教授は答える。「ああ、厳さん、そうではないんだ。この明かりはつけていなくちゃならないんだ。明かりをつけないと、電気で働く人が給料をもらって食べていけないし、農村の人たちも稼いでいけなくなるだろう」。
日々の暮らしの中で費教授のような見方をする人は少なくない。明らかに浪費といえる現象を経済発展にプラスになるものと解釈するのだ。国は今、節約や倹約を奨励し、ぜいたくや浪費、公費での飲食などを戒めている。高級レストランやサロンは閑古鳥が鳴き、高級な贈答品は売れ行きがさっぱりだ。ある人は経済学の観点から次のように問いかけた。だれもが消費しなくなれば、国の内需拡大という一大戦略をどうやって実現するというのか、と。
確かに、消費が経済を活性化させるというのは経済学の常識だ。適度で合理的で効果的な消費は、社会生活が正常に回転し、発展し、進歩する上で不可欠の前提条件といえる。だがすべての消費が経済の健全な発展にプラスになるとはいえない。 消費がどんどん増えれば、浪費に変わるのが常だ。
今の中国は輸出が振るわず、経済を支えるトロイカの馬3頭のうち2頭しか走っていないため、もっぱら国内消費に頼って経済を牽引するということになっている。これは確かだ。だが浪費に外側だけ立派な外套を着せてはならない。ある都市では建てたばかりのしっかりした建物を壊して新しい建物を建て、鋼材の需要を増やした、よいことをしたと言っている。ある都市では同じ道路を何度も掘り返し、今日掘って明日埋め戻すということをして、雇用が増えたと言っている。特に政府の役人が公費で盛大に飲み食いして牽引する消費などは、まったくお話にならない。
中国は発展途上国であり、もともと資源不足の圧力にさらされており、どのような浪費であれ浪費に対して寛容な態度を示してはいられない。経済発展の中では方向性をはっきりさせて節約・倹約を提唱していく必要がある。