生産能力過剰はモデル転換を進めるエコノミーが必ず抱える問題だ。深刻な過剰生産能力のガバナンスにおいて、東アジアのエコノミーはモデル転換初期に受け身で消極的な態度を取り、後になってから一連の有効な方法を採用することが多い。韓国はアジア金融危機の前に独占の強化と参入の制限、債務の免除といった方法により過剰生産能力の調整を遅らせ、その結果、危機を招き寄せることになった。70年代中期に、日本の重化学工業の生産能力は深刻な過剰状態に陥り、製造業の生産能力利用率は70%ほどになった。その後、日本政府は低迷する特定の産業を対象とした信用基金を設立し、企業の合併再編を推進し、海外投資を拡大するなどの措置により、企業の生産能力削減を効果的に推し進めた。
モデル転換は改革の推進と切っても切り離せない。既得権益層をうち破り、システムの改革を推進する上で、東アジアのエコノミーは進んだり止まったりして、歩みはバラバラだった。アジア金融危機の発生前、韓国は既得権益層と世論の影響を受けて、改革が形式に流れがちで、足踏みをすることが多かった。だが金融危機が発生すると、苦境の中で改革を推し進め、力を入れて取り組み、金融、企業、政府、労働の4分野の構造調整が大きな進展を遂げ、モデル転換と高度化に向けた道が切り開かれた。一方、日本は既得権益層に制約されて、調整は行われるものの進展には限界があった。大企業と主要取引銀行との関係、大企業と中小企業との関係、終身雇用制、年功序列などを変えることは難しく、改革推進の共通認識に達することができなかった。