ヨーロッパの歴史に残る中国ブーム、磁器に奴隷数人分の価値

ヨーロッパの歴史に残る中国ブーム、磁器に奴隷数人分の価値。 紀元前1世紀にはすでに、中国の多くの製品がシルクロードを通って、ヨーロッパに伝わっていた…

タグ: ヨーロッパ,シルクロード 中国 ブーム

発信時間: 2016-05-28 10:25:20 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

紀元前1世紀にはすでに、中国の多くの製品がシルクロードを通って、ヨーロッパに伝わっていた。当時立ち遅れていたヨーロッパの工芸技術と比べ、中国の技術はまさに精緻極まるものであった。シルク、磁器、漆器、その他の工芸品のどれをとっても西洋人の目を大きく見開かせた。 

記録によれば、カエサルはあるとき中国製のシルクの長衣を着て観劇し世間にセンセーションを巻き起こしたとされ、またシルクロードの終点であったヴェネツィアはシルクの取引で空前の繁栄を手に入れたされる。 

ヨーロッパ人はすぐさま養蚕の技法を学び、中国のシルクの模倣を始めた。16世紀までにイタリアやフランスにはシルクの生産地が誕生した。「中国ブーム」の影響を受け、ヨーロッパ人は中国産のシルクを高く評価していた。その後ヨーロッパ産のシルクも中国産と肩を並べるようになったが、図案の多くは中国を真似した龍や鳳凰、鳥などであった。また販路を確保するために商品には「中国製」を明記していた。さらに模倣をうまくするためにヨーロッパの職人の手には「中国図鑑」が握られていた。

磁器がヨーロッパに入る前、西洋人が日常使っていた入れ物は陶器や木器、金属であった。したがって軽くてきれいな磁器がヨーロッパに入るや、すぐに大きな人気となった。当初、磁器の数は極めて少なく、そのため貴重な贈り物として国王や貴族に届けられ、庶民には無縁であった。 

海のシルクロードの終点であるエジプトとアラビアでは、シルクの価格は奴隷数人分にも匹敵していた。磁器の製造方法はヨーロッパ人には知られていなかったため、当時のポルトガルの商人はその原料は貝殻や卵の殻、石膏ではないかと思っていたという。 

値段が極めて高価なため、16世紀のヨーロッパ人は磁器には自然の魔力があると思っていた。もし毒薬が入れられたら磁器がすぐに割れる―というような話が信じられていたほど。16世紀の半ばポルトガル人が磁器を大量に中国から持ち帰ったことで、中国の磁器を所蔵することが上流貴族の間でブームになった。 

また最も早く中国と貿易を行ったポルトガルでは、皇族はすべて中国製の磁器ブレスレットをしていたとされ、ポルトガル国王からイタリア国王への贈り物はいつも中国の磁器であった。 

中国ブームはイギリス王宮にも広がった。中国要素は当時のヨーロッパで品位と地位の代名詞となった。宮殿の中は中国の図案の装飾物が並ぶ中、中国の磁器は極めて貴重な品であった。多くの磁器を見れるのはスペインやフランスの大国の宮殿だけに限られた。王宮の婦人たちは中国の扇をあおぎ、パリの街角には中国の“かご”が見られた。 

貴族の家でも磁器は耀き、その家の地位を一層引き上げた。婦人たちの間の話は中国製品に関するものばかりで、スカートのすそからは中国のシルクで作ったハイヒールがのぞき、その絵柄は中国の折々の季節をあらわしたものであった。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年5月28日

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