5月11日、第三回シルクロード博覧会開幕後に開かれたシルクロード経済ベルト国際協力フォーラムで、全国政治協商委員会の何維副主席は「鎏金銅蚕(訳注:金メッキの銅製カイコ)」のレプリカを第三回シルクロード博覧会のシンボルマークの上にゆっくり置いた。「鎏金銅蚕」が第三回シルクロード博覧会で披露されたことにより、「話題のカイコ」は再び大好評を博した。
千年の金カイコ シルクロードの物語に立ち会う
第三回シルクロード博覧会陝西文化財展示エリア
「鎏金銅蚕」は1984年12月、安康石泉県の農家の譚福泉氏が川で砂金採取中に発見したものである。体長5.6㎝、胸囲1.9㎝、高さ1.8㎝、9つの体節からなるカイコは頭を上げて糸を吐く格好をしており、その姿は本物そっくりである。専門家の鑑定により、漢の「鎏金銅蚕」であることが判明した。
出土して以来、鎏金銅蚕は長安市のシルクロード文化財の重要な代表として、1992年と1999年の二回にわたり日本の「シルクロードの都――長安の珍宝」と「シルクロードの輝き――きらめく中国の珍宝展」で披露され、海外の観衆の注目を大いに集めた。
2017年5月14日、習近平国家主席は「一帯一路」サミットフォーラムの基調演説で次のように述べた。「古代シルクロードは各国の友好往来の新たな窓口を開き、人類の発展と進歩の新たな一ページを切り開いた。中国陝西歴史博物館秘蔵の千年の『鎏金銅蚕』とインドネシアで発見された千年の沈没船『黒石号』などは正にこの歴史に立ち会った」。
平和の使節として、シルクロードの発展、東洋と西洋の融合に立ち会った神秘的なカイコは古代シルクロードの歴史の立会人であり、国内外の経済と文化交流においてシルクロードが架け橋としての役割を果たしたシンボルでもある。
「鎏金銅蚕」の発見は、漢の時代に陝西省南部地域の養蚕業が既に相当の規模を有したことを裏付けている。『石泉県誌』によると、安康石泉県は古くから養蚕業を盛んに展開し、シルクロードに継続的にシルクを提供していた。前漢時代のシルク製品は国内のみならず、「一帯一路」に沿い、西アジア、ヨーロッパなどにも販売されており、沿線諸国の国民に大いに好まれていた。鎏金銅蚕の出土は漢の時代の養蚕業とシルクロード貿易の発展を集中的に表していると言える。