「少」から「多」へ
輸入品は「珍しい物」ばかり
1978年、改革開放が始まった。多くの商品が海外から中国に入り、大きなもので生産技術、小さなもので日用品などの輸入品ブームが中国の一般家庭に広まったが、これらは全て「珍しい物」だった。
王小柒さんはある輸入品のことをよく覚えている。それはテレビである。王小柒さんは山東省莱州市出身の30歳、現在は北京で働いている。王小柒さんは「幼い頃、家に日本から輸入したテレビが2台あった。1台はビクター、もう1台はパナソニック製だった。ビクターのテレビのことを印象深く覚えている。リモコンがテレビにはめ込まれていた」と話し、携帯電話で画像を検索して記者に見せた。
1980~90年代、中国人の家庭に見られる輸入品の多くが家電、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などで、価格も高かった。王小柒さんの家にあったテレビは2台とも2000元前後だったという。当時の2000元はかなりの大金だった。
当時は金持ちであれば輸入品を購入できるわけではなく、外貨券が必要だった。外貨券は一種の独特な現象で、1980年から15年間にわたり外貨券と人民元が市場に同時に流通していた。多くの外国人の記憶によると、当時、外貨券は中国を訪れる外国人および帰国する華僑のために発行され、ホテル、友誼商店、免税店などの特定の場所でしか使用できなかった。その後、一部の大陸人が海外にいる知人から外貨券を入手し、上述の特定の場所に行き輸入品を購入するようになった。
王小柒さんの家にあったテレビは、彼の祖父が知人に頼んで外貨券で購入したものだった。「祖父はビクターのテレビをずっと見ていた。このテレビは自分より高齢。今もこのテレビは家にあり、家族の記憶になっている」と王小柒さん。
改革開放が進むにつれ、多くの輸入品が一般家庭に入った。その後、王小柒さんの家の家電の多くが輸入品になり、結婚した今も輸入品が中心である。王小柒さんは「やはり質が良い。少し高いが、買う価値はある」と話す。