この遺跡は雲南東部の富源県大河郷茨托村、海抜1743mの癩石山上に位置しており、全長約35mに及ぶ洞窟である。2006年の発掘では、国際的に用いられている旧石器考古物の発掘方法を採用し、合わせて石製器1400点余り、動物の化石150点余り、人間の歯の化石1点を獲得した。
この遺跡で発見されたものはとても豊富である。人工的に石が敷き詰められた地面や暖炉などがあった。この遺跡で発見された人工的敷石地面は、西南地区としては始めての発見である。この遺跡で発見された石製器は、その地区の文化の伝統的特徴をそなえているだけではなく、典型的なヨーロッパのムスティエ文化とルバロワ技法の特徴をもそなえている。ムスティエ文化が、我国の南方で集中的に発見されたのは初めてのことである。
大河遺跡文化層の年代は4.4万年前から3.6万年前であり、その発見は、旧石器時代中・後期の東西文化交流の発生時期につき、中国北方より南方での発生が早かった、ということを意味している。これは、異なる交流ルートを意味しているといえるのかもしれない。
故宮博物院の張忠培研究員のコメント:
この遺跡はいろいろな状況を見るとかなり完璧なもので、人手が加えられた遺跡もあり、新たな特徴のある石器が発見されたものもあり、人間の歯もある。発掘の過程では遺跡の保護にも十分気を配った。