そして最後に、イノベーションと「対」になる概念を捉えておくことで、イノベーションの意義を浮き彫りにするというロジックのアプローチを考えます。ここで便利な概念が「イミテーション」です。イノベーションが社会に存在しなかった技術や芸術を新たに生み出すことに対して、イミテーション(模倣)は社会にすでに存在する技術や芸術を、ある組織(企業や国家など)が利用することであります。ただし、重要な事はイノベーションであってもイミテーションであってもともに価値を創造していること(例えば企業の生産活動)に差異はありません。イミテーションは日本語では「コピー・真似」中国語では「模倣」となり、知的財産がイノベーションを加速させるというラボラトリー的イノベーションの枠内でのロジックならびに先進国中心主義(途上国排他主義)のロジックに囚われた解釈によって、近年では「悪者扱い」されがちですが、実は、イミテーションは実施する側から見れば、社会資源の再投入(無駄使い)となる投資リスクを避け、短期間で、価値生産可能な状態にすることができるわけです。もちろん、その一方でイミテーションをすべて認めてしまった場合の社会・産業全体のイノベーションの低減効果(投資意欲が削がれる)というは明確にあるわけですので、社会厚生的にはこのバランスが重要なわけであります。
さてようやくこれらのロジックの前提を踏まえて、日本のイノベーションについて語ることができますが、日本企業は戦後イミテーションを繰り返し、投資リスクを下げ、さらに安価な労働力を活用しながら輸出を着実に増大させ資金を蓄えてきました(米国等の政府・産業は不愉快なことも多かったでしょう。)。そこには、いくつかの発明家的イノベーションがありましたが、現代のようにICTや発達した資本調達市場はありませんでしたから、発明家的イノベーションはそれほど日の目を見ることはなかったでしょう(現代ならば、発明家の資金調達手段は豊富です)。ですから、イミテーションを繰り返し、ある程度資金がたまった企業は規模を大きくしていき「活用」から「探索」にチャレンジしていきました。その後、高度経済成長期には、大企業は豊富な資金を投じ、ラボラトリー的イノベーションを中心としてイノベーションの好循環を生み出しました。新しい製品が誕生し、もともと欧米先進国のイミテーションであった日本製品が、その欧米の技術を追い越すほどの水準となっていきました。この時期、産業内に構造的既得権益層(多国籍大企業の誕生)が生まれ始め、社会制度的(法整備等)にもイミテーションからイノベーションへの転換だけが重視されてしまいました(今の中国はこの前段階辺りに位置します。)。
中川コージのブログ『情熱的な羅針盤』