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第22回 災害と日本人の国民性①鴨長明「方丈記」
発信時間: 2008-12-15 | チャイナネット

12月13日、日本の福岡市で日中韓三カ国の首脳会議が開催され、防災などについて協力を強化することが合意されました。四川ブン(さんずいに「文」)川大地震の後、中国から日本を訪問する様々な人たちが、日本の防災の取り組みを視察されるようになりました。地震などに関する科学的知見や、防災の取り組みなどで、国際協力を強化していければ、すばらしいことと思います。

日本人は古くから多くの災害を経験し、その被害を嘆きながらも、同時に災害を記録・記憶し、防災のための取り組みをしてきました。多くの災害を経験したことは、日本人の国民性にまで影響を与えたと言われています。また災害に遭った時に、日本ではどう気持ちの面で対応するのかという点も議論されています。日本を訪問して防災について視察された中国の方も、このような面についての意見交換もされたかもしれません。

日本人は、災害に遭った後の感想、そして災害について様々な文章を書き残してきました。これからそのいくつかをご紹介し、日本人の国民性にどう影響を与えたのかも考えてみたいと思います。

●「地震考古学」

古い地震を研究する学問を「地震考古学」といいます。これは未来に向けて地震発生の周期を予測することに用いられています。古代では「日本書紀」、「兼仲卿記」などに、684年、887年、1099年の地震が記録されています。(この項は、川尻秋生「日本の歴史~平安時代、揺れ動く貴族社会」(小学館)から引用しました。)

●鴨長明「方丈記」(12~13世紀)

災害についての古典的な代表的な文学は、鴨長明(かもの ちょうめい)の「方丈記」です。鴨長明は、1155年生まれで、1216年になくなりました。随筆家、歌人として知られています。この時代は、日本の平安時代末期から鎌倉時代にかけて、つまり公家政治から武家政治への大きな転換期でした。鴨長明は京都にある賀茂御祖(みおや)神社という有名な神社の高位の神官の次男として生まれました。50歳で出家した後、58歳の時に「方丈記」を書き上げました。日本の三大随筆の一つと言われます。(残りの二つは、清少納言の「枕草子」と兼好法師の「徒然草」です。この三大随筆は、日本の中学生、高校生が学校で必ず勉強をするものです。)

鴨長明は、大火事、竜巻、大地震、飢饉、伝染病などの当時の様々な災害について書いています。1185年7月9日、鴨長明が31歳の時に、大地震が京都を襲いました。鴨長明は、この大地震について、詳しく書いています。京都のお寺の建物はみな被害を受けたこと、一日に20~30回も揺れ余震は3ヶ月も続いたことなどを書いています。またこの大地震で、ある武士が子供を失い、大声で泣き叫んでいた嘆きぶりは、勇敢な武士でもふつうの人でも同じだと同情しています。

しかし、大地震の後、月日が経てば、大地震のこと、それによって世の中のはかなさを嘆き合ったことなどを、口に出して言う人がいなくなったとも書いています。

鴨長明は世の中の「無常」を嘆いたと、多くの日本人は理解しています。「無常観」は本来は仏教の考え方ですので、中国にもあったと思いますが、日本人は、多くの災害も経て、自分の感覚として身につけていると言われます。日本人の国民性として「無常観」に注目する論者はたくさんいます。

ただ作家の堀田善衛氏(1918年生れ、1998年逝去)は、「『方丈記』というと、すぐに無常とか無常観といったことをもち出すのは、少し気が早すぎる」と注意しています。堀田氏は、鴨長明が単に世の中の「無常」を嘆いているだけの人間ではなく、たとえば、世の中のことを非常に正確に記録したことに感心しています。堀田氏は、「方丈記私記」という本を書いています。この本については、機会を改めて、詳しく紹介したいと思います。

(井出敬二 前在中国日本大使館広報文化センター所長)

「チャイナネット」2008年12月15日

 

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