今年は中日平和友好条約締結30周年にあたる。日本を訪問中の胡錦涛主席の旅は「暖春の旅」と呼ばれ、「中日青少年友好交流年」のイベントも活発に行われている。北京第二外国語学院の邱鳴副学長は7日、「チャイナネット」のインタビューに応じて、中日交流の「今と昔」を語った。
邱鳴副学長が日本語を学び始めたのは、中日平和友好条約が締結された翌年の1979年。邱副学長はその当時の日本語学習を、「蜜月期」と呼ぶ。
「『君よ憤怒の河を渉れ』や『望郷』などの日本の映画や、山口百恵の『赤い疑惑』や『おしん』のテレビドラマが放映され、中国に日本ブームが巻き起こりました。そして日本にパンダや中国の芸術が行った時も大きな反響を呼びました。そういう『蜜月期』だったからこそ、私たちは日本の文化や様々な面にとても興味を持ち、みんな日本語を熱心に勉強したのです」
邱副学長によると、当時の日本語を学ぶ条件は今とは比べられないほど悪かった。日本語の教科書はほとんど自分でコピーし、今のようにネットで日本語の映画やドラマが見られることもなく、日本人の先生も少なかった。
日本語を勉強するために、日本人の友だちを作るのも難しかった。「今でも、『彼岸クラブ』という日本の機関に感謝しています。申請すれば、日本人のペンフレンドを作ることができました。日本語を習い始めたばかりの私たちが書いた手紙は、そんなに上手ではありませんでしたが、文字から文法までペンフレンドがとても真面目に直してくれました。長くても手紙は一週間で届きます。あの頃の中日両国の多くの若者たちは、こうした形で交流をしていたのです」と、邱副学長はその当時を振り返る。
「温泉文化」は日本の特徴ある民俗
邱副学長は1986年から1992年にかけて、東京都立大学で修士課程と博士課程を修めた。
ネットユーザーとの交流では、日本の特徴ある民俗は何かとたずねられ、邱副学長は「温泉文化」と答えた。
「日本の温泉は、私たちが考えているものとは違います。私たち中国人は、温泉は病気を治すためだと思っていますが、今ではその考えも変わってきました。皆さんもご存じのように、日本社会は仕事や様々なストレスが多く、温泉に入るのはとてもいいリラックスの方法なのです。温泉の目的は温泉に入るだけではありません。おいしい食べ物や温泉のある自然の環境を楽しむのです。ですから家族や同僚たちと一緒に行くと、とてもいいコミュニケーションになります」
「チャイナネット」2008年5月8日