村上作品は日本でもよく読まれていた。しかし、それには時代的背景があった。当時、日本のバブル経済が徹底的にはじけ、社会全体にイライラと閉塞感がみなぎり、その上日本人が背負っている負の歴史も加わり、彼らは麻酔を必要とし、村上春樹の作品はたまたまこのような役割を果たし、その作品には青春、追憶、愛情、感傷、忠誠などの要素を含み、読者がそれを読み始めると、とても心地良くなる。したがって、村上作品が1990年代の日本で大流行となり、その複雑性があるとともに、消費性もあった。
中国の中産階層の読者たちは事実上村上作品を読むことを1種のパフォーマンスとしての読書行為とみなしている。ほかでもなくこのような誤解が存在しているため、2007年に新星出版社が小森陽一氏の『村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する』を出版した。この著作は中国人が村上春樹の作品を理解し、現代の日本社会の中で村上春樹はバブル経済の崩壊と日本の歴史問題によってもたらされた疾患をどのように治療したのかを知るために解読の道を提供している。
新世紀に入ってから、中国の日本文学についての紹介に顕著な特色があり、それはつまり更に系統性があることである。2002年、中国社会科学院外国文学研究所は「中日女流作家作品シンポジウム」を催すとともに、日本の女流作家作品のシリーズを出版し、日本の女流作家を非常に系統的に中国の読者に紹介した。2006年の年末には、また「中日青年作家対話会」を催し、日本の代表性のあるハーフバック作家を中国に紹介した。同時にメディアもますますこのことに関心を寄せ、『世界文学』雑誌社はその中の1つであり、彼らは意識的に日本文学賞受賞作品を中国に紹介し、『世界文学』誌2005年第2号に発表された『蛇にピアス』、2006年第1号に発表された『豚の報い』などの作品はいずれも「芥川賞」の受賞作品である。
2007年になって、私達は中国の出版社が日本の文学作品を出版する中で次のような2つの非常に面白い変化が現れたことに気づいている。
2007年10月、前世紀80年代以後に生まれた日本作家の作品――『ひとり日和』という小説が上海訳文出版社から出版された。人を驚かすのは、この「芥川賞」という称号のほかに「名家」の光の輪のない作品が今日までにすでに10万冊を発売されていることである。この小説はある日雇い労働者である女の子がどのように年上の身内と付き合い、同時に自我の価値とアイデンティティの確立を追求したのかを描いた物語である。アイデンティティの確立を目指すこの女の子の仕事、生活と恋愛におけるさまざまなめぐり合わせと気持ちは人々に気をもませ、小説は1人の「あちこちを飛ぶ特別な族」としてのフリーランサーの辛酸を描き尽くし、このような心理状態は私達の「ポスト80年代以後生まれ」の世代と共鳴をもたらすことになった。
中国が日本の小説を紹介、出版することは主に近代、現代の著名なものに集中し、日本の歴史ものの小説に対する関心はずっと比較的少なく、2007年に重慶出版社が『織田信長』を出版し、2008年に南海出版社が出版した13巻からなる著書『徳川家康』は発売以来のわずか数カ月間に、100万冊も売れた。この2つの変化は出版社の日本文学出版における題材の選択がますます豊富なものになることを示唆している。
「チャイナネット」2008年7月21日