中日経済貿易関係が急速に発展するに伴い、数多くの日系企業が中国市場に進出しはじめ、人的往来も頻繁になってきた。日本経済が北米とヨーロッパ市場で挫折したため、アジア、特に対中貿易が日本にとって重要となり、中日両国は幸せな「ハネムーン」期を迎えた。
『サンダカン八番娼館 望郷』のスチール写真
中国人が日本の文化や製品を熟知し、それにおぼれるようになった。『君よ憤怒の河を渉れ(中国名『追捕』)』、『愛と死』、『サンダカン八番娼館 望郷』などの映画や、『北国の春』、『ソーラン節』、『幸せなら手をたたこう』などの歌、トヨタ、ソニー、パナソニック、SANNYOなどの日本製品・・・今まで棚上げにされていた事業を一斉に興すことを待ち望んでいた中国では、若者たちが「日本製品」を手に入れて興奮していた。
「中国に対して親近感を感じる」日本人の数が初めて大幅に下がったのは1982年前後のことであった。当時、「中国に対して親近感を感じる」日本人は78.6%から68.3%に減り、下げ幅は10%を超えた。それは、「教科書事件」や「日本首相の靖国神社参拝」などの影響である。中国が改革開放を実施してから、中国メディアの報道によって、日本の「歴史問題」が現れ、日本の経済や文化だけに夢中だった中国人は、政治問題にも関心を寄せはじめた。「歴史問題」は日本が永遠に脱け出せない罪となり、日本はいつも中国の人々によるモラル面での非難や裁決を受けている。
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