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中国人作家の訪日記日本人のDNAに中国的要素
発信時間: 2009-05-31 | チャイナネット

文=劉方煒

 

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ペンネームは「司馬遷に遼に及ばず」

私と盧さんは『朝日新聞』編集委員の加藤千洋さんと記者の林望さんにお会いした。以前からの知り合いではなかったが、旧知の友と再会したような気持ちになった。話題は中日関係から歴史の記憶、ニュース取材、文学に及び、連日張り詰めていた神経が解きほぐされた。

 

やがて話題は、すでに故人となっているノンフィクション作家の司馬遼太郎さんに移った。60数歳になる加藤さんによると、司馬遼太郎さんは日本の3大現代作家の1人で、多くの日本人は彼の作品を読み歴史を理解しているという。

 

この話を聞き心に深く感じ入った。中国の読者は日本文学に不案内なわけではなく、古い時代に書かれた『源氏物語』から現在広く読まれている『ノルウェーの森』まで、詳しい知識を持っている。武士道精神を賛美していた三島由紀夫さんの作品は早くから翻訳出版されており、私たちが京都で立ち寄った金閣寺は、その名がタイトルになった彼の小説によって知られるようになった。だが、大部分の中国の読者には、『項羽と劉邦』以外の司馬遼太郎さんの作品は知られていない。

 

このように戦後日本社会に多大な影響を与えた作家の作品を読めば、現代日本の文化と集団心理をある程度理解することができるだろう。中日両国の和解、特に民間レベルの和解には相互理解と交流が前提となる。日本で社会・文化研究に携わる中国人の友人の説明によると、司馬遼太郎さんの歴史観は反戦思想がベースとなっているという。中国人はなぜこの反戦的歴史観を持つ日本人大作家の作品を、もっと翻訳出版してこなかったのだろうか。

 

また、司馬遼太郎さんは生前どのように執筆活動に取り組んでいたのだろうか。「街道をゆく」シリーズだけでも43作を発表し、生涯に100作余りの作品を残した。このような膨大な作品数は世界的に類を見ないものであり、その作品は日本ですでにクラシックな名作として歴史に刻まれている。今年は没後13周年にあたるが、依然としてその作品の多くが日本の書店でよく売れているという。

 

同じ作家として、私たちはこの異国の先輩に対し特別な思いを抱いた。司馬遼太郎さんの旧居に設立された記念館で、コーヒーを片手に椅子に腰掛け、天井まで高々と並べられたその蔵書と作品を眺めながら、「司馬遷に遼に及ばず」という意味のペンネームで書き続けたこの作家は、どのような文学観と歴史観を持っていたのかと思いを巡らせた。

 

この旧居の小さな中庭にはあずき色の石碑が置かれ、「ふりむけば又咲いている 花三千 仏三千」と刻まれていた。

 

司馬遼太郎さんの本名は福田定一。1923年に生まれ、1996年に亡くなった。2月12日の命日は「菜の花忌」と呼ばれている。

司馬遼太郎さんの作品には、私たちが賛成できない、または批判すべき観点がいくつか見られるが、この作家の存在を無視することはできない。

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