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劉徳有会長、大平正芳氏と中日関係を語る
発信時間: 2009-10-26 | チャイナネット

北京日本学研究センターと日本の大平正芳記念財団が主催した「大平正芳生誕100周年記念シンポジウム」が24日に北京で開催され、中国文化部前副部長で中国対外文化交流協会の劉徳有常務副会長が記念講演を行った。講演の全文は次の通り。

 

劉徳有常務副会長

いまから30年前の1979年12月、大平正芳先生は日本国首相として中国を訪問されましたが、今年はその記念すべき30周年に当たり、またご訪問中に実現された「中日文化交流協定」締結30周年でもあります。そして、明年――2010年は、大平正芳先生の生誕100周年に当たりますが、この節目の年に、北京日本学研究センターと大平正芳記念財団の共同主宰による記念シンポジウムおよび優秀論文表彰式が行なわれますことは、まことに時宜に適っており、中日国交正常化と両国関係の発展に重要なご貢献をなされた大平氏を偲び、中日関係の未来と展望について語る場を私に与えてくださったことに先ず心から感謝を申し上げます。

大平正芳先生につきましては、一番印象深いことは、何と言いましても、1972年の中日国交回復前後のことでありました。

 

「中国問題では自分は田中氏と一身同体」

 

私は1964年の秋、LT貿易事務所の相互設置にあわせて実現された中日記者交換の際に、第一陣の中国記者として日本に派遣され、以来15年間取材活動にたずさわり、お世話になったものでございます。そんなわけで、中日国交回復の全過程をつぶさに取材し、その中で果たされた大平正芳先生の重要な役割を身にしみて感じとることのできたものの一人でございます。

ご承知のように、戦後の冷戦状態のなかで、日本の各地に早くから日中友好の機運が起こり、とくに佐藤内閣の末期になって、北は北海道から、南は沖縄にいたるまで、東は太平洋沿岸から、西は日本海の海辺まで、都市から農村へと、日中国交の早期回復を求める動きが日本全国に盛り上がっていましたが、そうした情勢のなかで、佐藤首相が退陣に追い込まれ、1972年7月に自民党総裁選を迎えることになりました。

総裁選にあわせて、対立候補にうち勝つため、田中派、大平派、三木派の「三派連合」が東京のあるホテルで結成されましたが、私どもも新聞記者として現場に居合わせました。後に中曽根派も加わって三派連合は「四派連合」になりましたが、誰の目にも明らかのように、四派連合の中核は田中角栄氏をはじめとする田中派と大平正芳氏をはじめとする大平派の両派の連合でありました。

「四派連合」のなかで、キーマンの大平正芳先生は田中角栄氏と非常に親しく、こと中国問題に関しては田中氏は絶対に大平氏の意見に従うと言われるほどの間柄だと、新聞記者仲間の間でもっぱらの評判でした。これに先立ち、わたしどもも大平氏と個別的にお会いしたとき、大平氏から「中国問題では、自分は田中氏とは一身同体だ」と言われたのを直接伺ったことがあります。

 

大平氏が使った「ネゴシエーション」の意味

 

「四派連合」ができた直後に、中日関係について大平先生のお考えをじかに取材したいと思い、インタビューを申し込みました。すぐにオーケーをしてくださり、東京虎ノ門の近くにある「自転車会館」に来るよう言われました。大平派の「宏池会」の事務所のある場所です。大平先生にお目にかかり、いくつか質問を試みましたが、一つひとつ丁寧に答えてくださいました。当時中国の記者として、最大の関心事は、台湾問題をいかに解決するか、即ちそれまでの日本政府が認めていたいわゆる「日台条約」を破棄する用意があるのかどうかということでしたので、そのことについて尋ねたところ、大平先生は慎重に言葉を選びながら「この問題はネゴシエーションを通じて解決できると信じます」と答えられました。具体的なお答えでなかったので、同じ質問を繰り返しましたら、「先にも話しましたように、私はネゴシエーションを通じて解決できると信じます」とまったく同じことを言われました。特別なニュアンスをほのめかす意味もあってか、「交渉」とか「話し合い」という言葉を使われずに、わざと外来語の「ネゴシエーション」を選んでお話された点が印象的でした。

この取材を通じて、大平先生は言葉でははっきり言われませんでしたが、すでに成算ができていて、真摯な交渉によって双方とも受け容れられる方法がきっと見つかり、台湾問題は日中国交正常化の妨げにはなり得ないと考えておられることを、感じ取りました。

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