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夫の死を乗り越え、日本で海運事業を展開する権英淑
発信時間: 2009-12-06 | チャイナネット

権藤英子氏は日本で海運会社を率いるビジネスウーマン。ご主人が立ち上げた会社を引き継ぎ、幼い子どもを育てながら、激動のビジネス社会を生き抜いてきたという。はたして、そのバイタリティはどこからくるのか。張国清北京放送東京支局長が藤英子氏にインタビューし、その記事は日本東方通信社発行の月刊誌「コロンブス」11月号に掲載された。

 

権藤英子・ゼネラルマリン株式会社代表取締役、中国名・権英淑。

1959年8月5日生まれ。83年北京医科大学・医学部(現北京大学・医学部)卒業後、北京中日友好病院、内科医として勤務。89年来日、名古屋の愛知医科大学研修員。91年東京大学医学部に在籍し、論文を発表。96年ゼネラルマリン(株)代表取締役社長に就任後、現在にいたる。

 

 

張国清:権さんは海運に関する業務を行うゼネラルマリン(株)を経営していますが、来日する前はお医者さんだったそうですね。

権英淑: 私は78年に北京医科大学に入学して、そこで5年間医学を勉強した後に、83年から中日友好病院で内科医として勤務していました。そのときに、日本の愛知医科大学の教授から日本で勉強をしてみないかと誘われたのです。折りしも、主人が文部省の奨学金で東京商船大学に留学することになっていたので、来日することにしました。

張:とはいえ、ご主人は東京、権さんは愛知とバラバラだったんですね。

権:そうなんです。しかも、娘はまだ北京にいるといった状況でした。それで、いつかは家族で一緒に住みたいと思うようになり、思い切って上京して娘を呼ぶことにしたのです。そして、私は東京大学で医療の勉強をつづけ、主人は大学を卒業してから大手運送会社の山九(株)に勤めることになったのです。

張:その後、どうして海運事業に携わるようになったのですか。

権:ゼネラルマリン(株)はもともと主人が93年に友人たちと一緒に立ち上げた会社なんです。当初は山九の関連会社のなかに机をひとつ借りて事業をはじめました。だから、はやくひとり立ちしたかったです。仕事を探すのもひと苦労で、主人はしょっちゅう中国に営業に出かけていました。その頃の私はやはり医学の勉強に精を出していました。

しかし、それから程なくして大きな転機が訪れました。主人が急死してしまったのです。当時、娘もまだ10歳と小さかったですし、私の人生はいきなり真ッ暗になってしまいました。周囲からは会社をたたんで帰国するようにいわれましたが、従業員のことを考えるとそうもいかないと思うようになったのです。しかし、そこからは苦労の連続でした。従業員も取引先もドンドン減っていってしまったのです。不安で眠れない日もたくさんすごしました。それでも、何とか独学で海運のことを勉強し、地道に営業してまわったのです。

張:事業内容についてお聞かせください。

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