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滝久雄氏、中国の新メディア市場の潜在力は巨大
発信時間: 2010-01-20 | チャイナネット

滝久雄氏の著作『貢献する気持ち』の中国語版(中)(繆暁陽 撮影)

新メディアの創始者に

1960年代の日本において、安定的な収入、手厚い待遇のある仕事をもつことは人からうらやましがられたが、昔からいままでの成功した経営者の経歴を研究した滝久雄氏は、三菱での安定的ですぐれた仕事を放棄し、「新たな事業を創始する」という信念を持って、日本の「交通文化事業」すなわち今のNKBグループに入った。

理工科出身の滝久雄氏は、新興技術が伝統産業の形態を変えられることにずっと極めて大きな興味を持っており、たゆまぬ努力と研究を経て、1985年、彼の指導で開発された「新メディア」がついに誕生し、日本最大の旅客輸送の乗換駅である東京駅に、幾つかの大きなスクリーンで構成したその当時最も先進的な新メディアシステムを設置した。東京駅のコンピュータシステムを入れ替えた後、滝久雄氏は日本外務省に要請されて、東京サミットのプレスセンターに先進的な情報端末を設置した。この時期、滝久雄氏はNKBグループの新幹線の広告で絶えず新機軸を打ち出し、技術情報と広告業務とを統合した社会的影響力をもつメディアへと変えていった。

滝久雄氏は新メディア創始者としての成功の喜びに浸ることはなかった。パイオニア精神がある彼はインターネットの巨大な潜在力に鋭く気づき、米国のインターネットの発展に対する研究を通じて、自分の囲碁についての興味と資質焦点をあて、1995年、囲碁対戦のウェブサイト――パンダネットを開通した。運営中の人気が極めて高かったことから、彼はインターネットの巨大なビジネスチャンスを感じた。2ヶ月後、彼の創立したグルメ・レストラン情報検索サイト「ぐるなび」が開通した。2005年4月25日に「ぐるなび」は上場し、上場当日から株価が上がり続け、数日後には株価が1000億円を超える大手上場会社になった。

「かつて、人は情報を得るために高いコストを払っていたが、今では、どんなに学究的な難しい情報でも、インテリジェント携帯あるいはパソコンを通せば引っ張り出せ、情報の価値が最大200円とまで言われている。そういった情報系の産業革命が起きたという判断が『ぐるなび』の創立の決め手だった」と滝久雄氏は述べた。

10数年の発展を経て、現在、「ぐるなび」はすでに日本で最も使用率の高いグルメ・レストラン情報検索サイトになった。それと同時に、「ぐるなび」の世界進出という夢を叶えるために、滝久雄氏は努力し続けている。

中国の新メディア市場に関心

「中国の新メディア市場には巨大な潜在力がある」と滝久雄氏は語った。

2005年11月7日、「ぐるなび」は正式に中国市場に進出し、1億5千万円の登記資本金で上海に「ぐるなび(上海)信息諮詢有限公司」を創立し、ユーザーがオンラインでレストラン情報を検索・予約できる業務を展開した。これは「ぐるなび」初の海外法人であり、滝久雄氏の新メディア事業が世界に進出するための需要な戦略的配置でもあった。

中国市場に進出する初志について、滝久雄氏は、「私は30年の中国との付き合いを通して、中国の女性はもしかして日本人女性と比べて、あまり食事は作らないのではないかという疑問を抱いていた。一方、日本は外食が盛んになったのは大阪万博以降だったので、そうすると、中国の大衆から見る外食の大発展は上海万博以降か、というのを今から5年前に思っていた。そのため、一日もはやくまずスタートしなければならない、というのが進出の理由だ。 ただ、中国の女性は料理を作るのが急に好きになり、あまり外食にいかなくなったということになれば、話は別だが」と述べた。

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