中国人の砂漠整備を援助した人の中で、遠山正瑛さんは私たちが記憶に留めておかなければならない日本人だ。遠山さんは2004年2月に97歳で亡くなったが、1970年代から中国の砂漠の緑化研究を始め、90年代には日本砂漠緑化実践協会を設立して中国の砂漠開発に協力隊を派遣した。
90年代初め、84歳だった遠山さんは、恩格貝砂漠開発モデル地区の総指揮者として招かれる。それから10年以上にわたって砂漠化防止に取り組み、新疆ウイグル自治区や甘粛省、寧夏回族自治区、内蒙古自治区にその足跡を残した。遠山さんが案内したボランティアは300万本の木を植え、参加者は335回6600人以上に上った。
日本で大々的に砂漠整備の意義と、中国の砂漠整備は日本の環境を守ることだと唱えた遠山さんは、1998年に中国政府の友誼賞を受賞している。
このような高齢の日本人は遠山さん一人だけではない。80年代の初めに東京支局の前任者、王大軍元支局長が出会ったのが、中国の緑化や中国両国民の世々代々の友好に全精力を傾けた菊池善隆さんだ。
菊池さんは1973年から80年代初めにかけて、10年間、無償で中国に約360キロのケヤキの種と2万株の苗を提供した。菊池さんの願いはただ一つ。このケヤキの木が中国の大運河のほとりに植えられ、平和を象徴する「緑の長城」になることだった。
中国の緑化のために何千万円という貯えをつぎ込み、86年からは毎年のように「罪滅ぼしの植樹訪問団」を結成して、数千株の苗を持参して南京で植樹を行った。1990年に菊池さんが亡くなってからは、この「罪滅ぼしの植樹訪問団」は他の人たちによって引き継がれている。
「緑のノーマン・ベチューン」
昨年5月、長城のふもとでは約1000人の中日のボランティアが参加した大規模な植樹活動が行われた。11年目を迎えるこのイベントは、北京市政府と日本のイオングループが開催したもので、この10年間で延慶県の八達嶺長城に植えられた木は約80万本に上る。
頻発して危害をもたらしている砂塵嵐。そんな中、国を越えた植樹活動が展開され、地球環境の改善は人類が共同で対応するテーマにもなった。長年にわたってボランティアとして中国の砂漠整備を手助けし、木を植えてきた外国の友人たち。こうした人たちは、1930年代に延安で医療活動に従事してこの地で亡くなったノーマン・ベチューンのように、まさしく私たちが生きるこの時代の「緑のノーマン・ベチューン」である。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年4月2日