「非核三原則」、つまり「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」は、1971年に日本が国会で議決した国是だ。だが岡田克也外相は最近、非核三原則は堅持するとした上で、有事の際は核搭載米軍艦船による日本への一時寄港を排除しないと表明した。米国の核の傘に対する日本政府の複雑で矛盾した姿勢が浮彫りになった形だ。
一時期かまびすしかった「核密約」騒動はすでに終わりを告げた。日本の現政権は歴代自民党政権が隠蔽してきた核密約の真相を暴いたのだ。核密約は日米両国が東西冷戦を背景に結んだものだ。唯一の被爆国である日本は反核の立場を再三表明する一方で、1960年の日米安保条約改定時に、核搭載米軍艦船の日本寄港を黙認する秘密合意を結んだ。1967年に佐藤栄作首相が「非核三原則」を打ち出した際も、核密約は存在していたのだ。1969年にニクソン米大統領がアジアでの戦略を縮小する「ニクソン・ドクトリン」を表明すると、佐藤首相は米国が沖縄から撤退して日本の防衛が保障されなくなる事態を懸念。再びニクソン大統領と秘密の約束を交わし、核兵器の再持ち込みを容認した。佐藤首相は自ら打ち出した非核三原則を無視したのである。その後の自民党政権は一貫してこの秘密を守り続けてきた。
核密約の暴露は日米関係に新たな試練を課した。米国は核抑止力を維持する必要性と、関係国の反感を引き起こしたくないという考えから、核兵器の持ち込みの問題においては一貫して曖昧な姿勢を保ってきた。ブッシュ元大統領が1991年の冷戦終結後に米軍艦船・戦闘機からの戦術核の撤去を宣言したことはあるが、米国が永遠に核兵器を配備しないと宣言したことはないし、宣言することもあり得ない。米国は一貫して、日本の反核勢力が非核三原則を法制化することを懸念してきた。法制化されれば、米国が核兵器再持ち込みの必要を感じても、ただちに「非核神戸方式」による妨害を受けることになるのだ。「非核神戸方式」とは神戸市が1975年に可決した決議で、神戸港に寄港する外国軍の艦船や戦闘機に非核証明書の提出を義務づけるものだ。今後社民党などの反核勢力が非核政策の法制化をさらに求めれば、日米関係に重大な影響が出てくる。
核密約の真相はすでに明らかになったが、この問題をめぐる日本国内の論争は、まだ終結にはほど遠い。日本では反核派は徹底的な非核政策の堅持を訴えているが、非核三原則の修正を主張する声もある。彼らは、朝鮮半島有事の際、日本は米国の戦略爆撃機などの領空通過、さらにはその軍事基地の使用も許可するに違いないが、核密約が失効すれば、米国の核抑止力はその意義を失うと考えている。「読売新聞」は「持ち込まさず」の原則は堅持した上で「例外」規定を設けるべきだとしている。一方「産経新聞」は核の寄港・通過を認める「非核2.5原則」を提言している。
核密約の暴露によって、日本の社会や民主党内部を含む政界の、核問題に対する矛盾した心理も露呈された。世界唯一の被爆国である日本は、米国の核の傘によって、ばつの悪い立場に置かれている。
「人民網日本語版」2010年4月23日