日本の経験は「苦痛の上に築かれた」もの

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発信時間: 2010-04-23 10:09:15 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

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日本の依光瑞子さんは、中国が発展過程の中でぶつかった多くの障害は日本もかつてはぶつかったことがあり、両国の国情、体制および規模などの面で大きな違いがあり、簡単に比較を行うことができないにもかかわらず、日本のいくつかの経験はやはり中国が学ぶに値するものであると語った。

依光瑞子さんが見るには、日本は経済発展の中で上手に環境汚染などの問題を解決した。彼女の記憶によると、前世紀80年代の初期に彼女は東京から多人数の青年訪中団に随行して船で中国に赴いた。当時、船は東京の晴海埠頭から出発し、「あの時の東京湾の水は黒みがかったもので、また臭いニオイがしていた。しかし、80年代末、90年代の初期になると、東京湾の海水は澄んだようにきれいになり、空も青くなった。」依光瑞子さんの話によると、環境対策への取り組みは、日本政府と産業界のきわめて大きな努力のおかげで、特に予防に資金を投下することにし、それは汚染発生後になって更に対策を取ることによる代価よりずっと小さく、「日本の経験は苦痛の上に築かれたものである」と言える。

当面中国の世論が広く関心を寄せている土地収用による撤去・立ち退きの問題は、日本もかつて経験したことがある。莫邦富氏の話によると、前世紀80年代に、高利潤にかり立てられ、いくつかのデベロッパーは暴力団の人を雇って家主に圧力をかけ、ひいてはおどし、百方手を尽くして家主に家屋や土地を売らせた。でも、中国の当面の建物を取り壊して立ち退きを強制するか、強引に建物を取り壊して立ち退かせることと比べると、日本のその時の土地収用で建物を取り壊して立ち退いた強さははるかに中国よりましで、しかも日本の立ち退きへの補償は比較的に高かった。

依光瑞子さんは成田空港の建設を例にして、「協力しない家」にぶつかり、政府が徴用を強制することができないため、二本目の滑走路が30年余りを使ってやっと作り上げられ、「もし徴用を強制するならば、成田空港は30年前にでき上がることも可能で、成田空港はとっくにアジアの空港の中枢になり、日本の経済も10年余り停滞することはなかったかもしれない」と語った。(馬挺)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年4月23日

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